
好きで好きでしょうがない映画というのは
書きたいんだけど
なかなか
書けない
書くというのは具体的にする・・ということ。
でも
好きというのは
極めて抽象的で曖昧で
モヤモヤした感情。
どんな言葉で表現しても違うような気がする。
ま、いいか。
違ってたら、消して
書きなおせばいいんだから・・。
と、いうわけで
好きで好きでしょうがない
岡本喜八監督の「斬る」です。
この映画の上映時間約二時間。
そのなかに
普通の映画3本分ぐらいの
物語とキャラクターが、
ぶちこまれている。
それを物凄いスピードで展開させていく。
物語も、
キャラクターたちも
二時間の中で
休みなく暴れまわる。
そのなかの中心にいて
ひっかきまわすのが
ふたりの男。
ひとりはやくざの源太。(仲代達矢)
実は二年前に、役目の上から親友を斬り、武士を棄てた男、兵頭弥源太である。
もうひとりは、田畑半次郎。(高橋悦史)
実は百姓に厭気がさし、田畑を売って武士になろうとしている男である。
このふたりが
空っ風の砂塵を巻き上がる上州は小此木領下にふらりと現れる。
時は天保四年。
冒頭
名手、佐藤勝によるマカロニウェスタン風のスコアーが鳴り響くなか
登場した、このふたり、めっちゃくちゃ、腹が空いていた。
しかし町は荒れ果てて
めし屋の夫婦も首を吊って死んでいる・・。
とにかくめしを食わなくては話にならない。
そこに
弁当を持った武士がくる。
ふたりはその武士に
弁当を恵んでもらって一息・・。
この握り飯がでかくてうまそうなこと、うまそうなこと。
二人が姿を現わしてから間もなく、
野々宮の宿場で城代家老溝口佐仲が青年武士七名に斬られた。
小此木藩は溝口の圧制下住民たちの不満が絶えず、
つい最近、やくざまで加った一撲を鎮圧したばかりだった。
しかし、血気盛んな青年武士たちにとって、
腐敗政治は許せるものではなかったのだ。
そして、さしもの権勢を誇った溝口も、ついに倒されたのだった。
飯を恵んでくれた武士、笈川たちが、悪徳家老を斬ったところから
陰謀と混乱の争いがはじまった。
ひそかに機会を狙っていた次席家老鮎沢は、
この事件を
私闘と見せかけて七人を斬り藩政をわが物にしようとした。
つまり、討手をさしむけたのだ。
青年たちはやむなく国境の砦山にこもり、
期待と不安を抱いて江戸にいる藩主の裁決を待った。
ここまでのストーリーを読めば
あの映画を思い出すだろう。
「椿三十郎」だ。
そして
冒頭はもろ「用心棒」
原作は山本周五郎だ。
会社から、
これらの黒澤映画のようなものを撮れと言われたことは
容易に想像がつく。
しかし
自らを自由な二流監督と名乗る喜八監督。
会社の偉いさんには
しっかりと黒澤パロディーと見せつつ
徹底的に喜八節を展開させるしたたかさ。
本当に
映画好きが喜ぶ活動魂が、
ここにある。
仲代達矢が、
青年武士の姿を自分の過去と重ね合わせて
獅子奮迅、走りまわる
軽妙で凄腕のやくざものを
飄々と演じれば
高橋悦史が、
武士に憧れる農民を
これまた
楽しげに演じる。
このふたりが
対立する双方について
争いをひっかきまわす。
しかしキャラクターは
彼らだけではない。
女郎にまで身をやつした愛する許嫁のために
武家を捨てて浪人となり
見受けするための金を稼ぐために
青年武士の討伐隊の隊長となった荒尾十郎太。
これを演ずるは岸田森。
好っきやねん、岸田森というひとは多いと思う。
もう画面に出てきただけで心躍る、生れながらの役者だ。
もちろん、
生きる不幸、歩く薄幸、しゃべる怨念、踊る情念の
岸田森が演じる役が
幸せな結末など迎えられるわけがない。
さらにすばらしいのが
家老森内兵庫演じるところの
東野英治郎だ。
家老の癖に
この騒ぎの最中に
夜釣りに行き
策略家の次席家老鮎沢に
牢にぶちこまれてしまう。
彼が
助け出されて匿われた先が
女郎屋。
女郎を小脇に抱えて
「ここが気にいった。帰りたくない」と
言い出すそのなんともいえない茫洋としたキャラクターは
絶対に
黒澤映画には出てこない。
この映画を観ると
同じような題材を扱っているので
岡本喜八と
黒澤明の相違点がはっきりとわかる。
まず際立つのが
喜八監督のポップさだ。
女郎屋でのどんちゃん騒ぎは
まるで
ジャズセッションだ。
不幸のどん底の女郎や浪人に
まったく悲壮感がない。
それぞれ抱えているものは
悲壮で重いのに、
それらが
元武士、いまやくざの仲代達矢や
元百姓、いま雇われ浪人の高橋悦史の
表層にも出てこない。
彼らはあくまでも
軽く軽妙なのだ。
重く悲壮なのは
まわりの武士たちのみ。
ここに喜八監督の反骨の魂がある。
彼はたとえ改革の志に燃える青年武士であろうと
ヒーローにはしたくないのだ。
喜八監督の映画におけるヒーローは
あくまでも
下層に生きるひとたちなのだ。
そこが
黒澤映画とは決定的に違っている。
どちらがいいというわけではない。
ただ
僕は「椿三十郎」や「用心棒」が大好きだが
「七人の侍」ほど熱狂的に好きになれないのは
この映画があるからだ。
僕は
この映画が、「椿三十郎」や「用心棒」よりも
好きで好きで仕方がないのだ。
そして
黒澤明は好きな監督だが
岡本喜八監督は
もう好きで好きで大好きなのだ。
そのなかでも
一番好きなのが
この「斬る」なのです。