
「神に近づく瞬間があるんですよ。
指揮をしていて・・。
すべてがうまくいって・・。
上り詰めるだけ、意識が上り詰めるんですよ。
するとね・・
確実に神に近づいているときがあるんですよ。
それぐらい
完璧な指揮をして、
それに楽団が答えて、
完璧な演奏をしたときに・・。
それはもう・・神に近づくんですよ。
限りなく・・」
日本が誇る世界の巨匠、小澤征爾の言葉です。
「身震いするほど感動する演奏ができることなんて
本当にまれだ。」
千秋は、
のだめとの連弾で、
小さな身震いを感じた。

はっきり言って
この漫画の作者の二ノ宮知子は
絵がうまいというタイプではない。
どちらかと言えば
へたな部類だ。
しかし
面白い漫画は
絵のうまいヘタではない。
現在、日本に
絵は素晴らしくうまいのに
クソつまんない漫画が氾濫している状況を見れば
納得していただけるだろう。
歌が素晴らしく上手くても
芝居がとても上手でも
かならずしも人に身震いを与えられるものではない。
香川さんという役者がいる。
世間ではとても評判がよく演技派といわれている。
デニーロさんという役者がいる。
世間ではとても評判がよく演技派といわれている。
僕は
このふたりの最近の演技が好きではない。
どちらも頭がよく
とても演技している。
でも、
香川さんは、中国で撮ったあの映画の演技はいまだに越えられない。
デニーロさんがタクシー運転手を演じたあの映画は越えられない。
ショーンペンは立っているだけで
演じている役になる。
理論もない
理屈もない。
ただ
その役になっている。
なにがその役になっているのか?
すべてである。細胞のすべてがその役に変換してしまったのだ。
どうやって?
本能で・・だ。
のだめは
譜面を見ないで演奏する。
耳がいいので
音を聞いて覚える。
ハリセンのピアノ科エリート教室を
追い出された千秋は
落ちこぼれ教室といわれる谷岡先生の教室で
のだめとピアノの連弾をすることになる。
曲は
モーツアルトの 「2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448 (375a)」
「谷岡先生も人が悪いな。
連弾だったら
リストとか
ブラームスとか
もっとメジャーでやりやすい定番曲があるのに」
案の定、
ふたりの息は合わない。
理論と正確さが一番、
作曲者の意思は絶対とする千秋。
本能と適当、
でたらめの精神が絶対とするのだめ。
なんだか
むかむかして怒鳴る千秋。
間違ったことを言っているわけじゃないのに、
大嫌いだったハリセンに似てきた。
ドラマでのこの部分の上野樹理の演技は
もう抜群である。
原作にない
苦しさと悲しさを
その表情で観客にわからせる。
のだめ以上にのだめになってしまった上野樹理。
まだ理論で、千秋を演じている玉木宏。
その違いは
千秋とのだめの違いと重なる。
つまり
どうみても
圧倒的に
まだ上野樹理のほうが強いのだ。
圧倒的に
こちらに来るのだ。
谷岡先生に連弾を披露する日、
千秋は
のだめに言う
「適当に・・・今日は自由に弾いていいから」
そしてつぶやく・・。
こいつに合わせられるのは、オレ様ぐらいだ・・。
まず理論の前にあるモノ
テクニックの前にあるモノ
それがなにかということは・・・、
表現者が、
各個人で考えることだと思います。
死ぬほど映画を観て
死ぬほど本を読んで
死ぬほど悩んで
死ぬほど恋をして
死ぬほど必死に・・
死ぬほど懸命に・・・。