21 「英雄」  一流という名の美 | ササポンのブログ

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ジェットリー。ドニーイェン

このふたり、あらゆる面で対照的だ。
ジェットリーのイメージが白なら、ドニーイェンは黒。
ジェットリーが善なら、ドニーイェンは悪。
ジェットリーが聖なら、ドニーイェンは俗


ドニーイェンファンは、怒るかもしれないが、あくまでも俳優としてのイメージの話。






しかしこの映画では、そういう安直なイメージには、ならなかった。
なぜならこれはチャン・イーモウ作品だから。大嫌いな言い方だが、彼が作るのだから、ただのアクション映画ではない・・。
まさかチャンイーモウが作る武侠映画で、ふたりが共演するとは・・。武侠映画の説明は、ここでは避けるが、はっきり言って、高尚なものではない。世間的にいえば、ホラーやアクションと同じにビデオのジャケットを並べただけで棚の配色がメチャクチゃになる、あの手の映画だ。日本の劇場で、まともに封切られたこともない。





ところがであるチャンイーモウが撮れば、芸術作品になって、でっかいスクリーンで見れてしまう。僕は、チャンイーモウが嫌いではない。ただその扱いというか、周りの見方がいやなのだ。
あのなんとなくイヤな感じ、はっきり言えば差別を感じるのだ。
ただ僕は、そういういや感じを、含めても、このふたりが、剣を交えたことに心底、喜んだ。そして感激した。




剣の対決と、琴のような楽器(不勉強、知りません。誰か教えて)の演奏のコラボというのは、意外に陳腐というか、武侠映画ではおなじみのシーンだ。決着と同時に、弦が切れるというのも、よくある。
ふたりの対決で、まず特記したいのは、ふたりの姿勢である。
あのワイヤーを吊られたときの体の、不自由さは、吊られた俳優さんたちがみんな言っているが、かなりのものである。吊られた状態で、指定通りのポーズや動きをするだけでもかなり大変だ。
ところがである、このふたりはその状態で、剣と槍を交え、乱舞するのだ。
その速いことこと、神の如しだ。普通の俳優・・いや、ワイヤー演技に慣れた香港の格闘俳優でもできないような、動きを、ふたりは完全にこなしている。
さらにすごいのは、地面での対決のときの、決めポーズり美しさだ。
ヤンキーども・・失礼、西洋人がどうしても理解できない、理解できても実感できないのは、あの、激しく格闘の間にはいる、絶妙な間、静止。
もしビデオやDVDを持っていたら、もう一度見てほしい。あの足場で、なんであの格好で、停止できるのだ・・というポーズのオンパレードだ。もちろんふたりの剣のスピードは、言わずもがな・・である。
これは、腐るほど、武侠映画を観てきた僕の所見だけど、あれ、ほとんど早回しなしだと思う。もしこの映画が芸術だというなら、美しいというなら、このふたりの剣術シーンこそが、芸術であると、思う。





映画全体もまずは文句のつけようのない、出来だと思う。
残念ながら、演技の部分は、トニーレオンとマギーチャンが担って、格闘をジェットリーとドニーイェンが担当という事実は、認めなくてはならない。はははは。これはしょうがない。








この映画が、素晴らしかったのは、格闘と演技が、その両方が一流であったが為に、ものすごい迫力となったことだ。
それはチャンイーモウの次の武侠映画で、その両方が・・特に格闘の面で、パワーダウンしたがために、ひどいことになってしまったことで証明できる。

アジアの化け物、一体、何本の名作に出れば気が済むんだトニーレオンとマギーチャン。
そして俗な格闘映画の世界をひとりで背負っているドニーイェン兄貴。

彼らに恵まれたジェットリーの、この作品を僕は、いささか感傷的な思いを込めてこう呼びたい。

久しぶりに、リー・リンチェイの姿を見れた作品と。