全力日記!(2018東京マラソン 改め いわきサンシャインマラソンへの道) -8ページ目
長きに渡って、被災地の状況をお伝えしてきましたが、如何でしたでしょうか。
今回は、時間の関係もあり、岩沼・名取・仙台・石巻・合併前の旧雄勝・旧北上しか行けませんでしたが、次回に訪問する際には、被害が大きかった南三陸町(旧志津川・旧歌津)・気仙沼・陸前高田・大船渡などもこの眼に焼き付けたいと、心に誓いました。

全力日記!(全力少年じゃなくてゴメンね)
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仙台中心部は、見た目にも震災が無かったかの様に、平穏ですが…
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この写真は、仙台市郊外。国道4号仙台バイパスの鶴が谷入口の交差点で、歩道がまだ被害の爪痕が残ってます。
被災地では、避難所の閉鎖で仮設住宅への入居が報道されてますが、まだまだ復興には程遠い状況です。
このブログを見てくれる皆さん、訪れてくれる皆さん。
まだまだ少しずつでも、支援は必要です!
皆さんに出来る事を、引き続けて頂きたいです。
宜しくお願い致します。

旧北上町の街並みを紹介します。
新北上大橋の交差点の道路端に、献花台が設けてあったのですが、そこに写真がありました。

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↑川沿いに自然と融合した、のどかな街並みがあったのですが…

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↑正面に見える建物は石巻市立大川小学校です。
たびたび報道されてましたが、全校生徒108人のうち、74人が津波で犠牲になりました。
この校舎全てが、津波の中に呑まれたのです。


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↑地震と津波によって、ご覧の通り面影も無く、何もかも壊れ押し流されてました。
これが震災の脅威と思うと、恐ろしくて、暫し言葉を失いました…

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↑北上川沿いの堤防の上を走る道路から撮影したのですが、住宅があった名残のかけらもありません。
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↑周辺で唯一残った蔵です。
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この堤防は、高さが7~8mあるのですが、大津波はこれを軽々と越えて、人々の生活を奪っていきました。


現地の実情は、以上の通りです。
最後に次の記事で、総括をしたいと思います。

雄勝峠を越えて、石巻市の旧北上町に入りました。

ここは、津波で大半の部分がまだ入れなかったので、北上川に架かる「新北上大橋」周辺のみの報告になることを、ご了承下さい。

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↑これが新北上大橋です。

まだ信じられない惨状です。




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↑北上川を示す巨大な看板も横倒しに・・・




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↑下流(右)から津波が瓦礫を押し流して、橋で堰き止められたために


歩道部分は完全に破壊されてます。


もちろん現在も通行止で、対岸へ行くには、一旦15km上流の河北大橋まで行かないと、


渡ることができません。




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↑民家で普通にある、暖房用の燃料タンクが漂着してました。


震災当時は冬でしたので、かなり危険だったのではないかと思います。




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↑上の燃料タンクの反対側には、何とプロパンガスのボンベが・・・


一歩間違えば、新北上大橋は爆破・崩落の危険がありました。




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↑大橋の上流約1kmの所には、橋の部品でしょうか!?


大きな鉄くずが流され留まっておりました。




次の記事では、旧北上町の市街地だった部分を報告します。