朝の4時です、サンライズは雲多めながらまぁまぁ見応えありました。


洋風ならラウンジ母島で食べるか悩みましたが鱈フライを付けて700円でしたのでラウンジ父島で朝食をとることにしました。


ここまで来るとかなり本土からは離れてきました。


飛んでいる鳥もガラリと変わり海鵜やかもめではなくカツオドリです。


ずーっと船にくっ付いて飛行しています。


カラスより相当デカいです。


後方のデッキでのんびりしていると・・・


朝から鎮魂のセレモニーを催すということで遠目から様子を見守りました。八丈島から乗り込んだ方々は戦争被害者の子孫や関係者の一行だそうです。


某○H○も取材カメラを持っておりました。


黙祷を捧げて一同静まりかえります。


そして船上から花を手向けます。


この地点でアメリカ軍の魚雷を受けて亡くなった八丈島の人達も大勢いたそうです。


さらに八丈島のお酒も大海原に捧げました。


もう80年経ちましたが当時の悲惨さが何事も無かったかのような綺麗な海がそこにありました・・・。


この辺りから小笠原諸島の島々が見えてきます。聟島(むこ)媒島(なこうど)嫁島(よめ)いう不思議な名前です。


そして弟島、兄島、最後はようやく父島が見えてきました。


この旅初めてのイルカに遭遇です。


この辺りから海も青いし南国ムード一色です。


島の人達が出迎えて手を振っています。


港には大勢の方々がお出迎えや船の貨物の業者さんや警察、検疫の方々で賑わっておりました。


いよいよ接岸します。


船内ガイドさんも言ってましたがこんなに揺れない航海は無いというくらいのベタ凪でした。


かつて24時間戦えますか?という歌があったけど24時間大海原を走行してきたおがさわら丸に感動です。


ここで感傷に浸って動画や写真を撮っている場合ではありません!早く宿の主人と合流しないといけませんので!








八丈島の接岸が近くなると八島太鼓が鳴り響きます。


するとそこそこの人達が乗船してきました。


父島ラウンジの夕食も同時刻にスタートしたので激混み前に速攻で行きます。


島の塩を使った島塩ラーメンをいただきます。


想像よりかなりやさしい味わいです。


コスパ的に量こそ少な目ですがまた食べてもいいかなとは思います。


八丈島を後にしてあとは青ヶ島があるそうですがかなり小さい島だし夜にもなるので見るのは諦めます。


サンセットも曇りで申し訳程度でしたがそれでも良い誕生日の締めくくりです。


ラウンジ母島で持ち込んだカップ焼きそばで夜食にしました。後は貧乏部屋は強制的に10時就寝となりますのでそんなり早く寝られるのかが不安です




冒頭に最果ての地と述べてしまいましたが今から行くところが小笠原諸島の父島に24時間かけて行きます。住所は立派に東京都小笠原村となります。


船内は1番上のデッキも含めると7層まであるそこそこ大きな船です。


まずはざっと船内散策します。


こちらが1番リーズナブルな2等和室です。


今回はまだいくらかシーズンオフらしいので割に広く使えました。


4Fから7Fまでエレベーターも使えます。


自販機も充実で観光地プライスよりいくらかリーズナブルです。


早速父島レストランのランチタイムがスタートしましたが並ぶのが嫌なので予めゲットしておいたコンビニ飯を満喫します。


こちらは持込も可能な軽食がわりにも利用できる母島展望ラウンジです。


ひと足先に島グルメを試してみます。美味いですがジュース感覚でヤバいです。


大きな船のいいところは歩いて運動できることかもしれません。


こちらはおがさわら丸の萬屋的存在の店です。


何度か同じようなところをグルグル動いて・・・


慣れるまで無駄な運動が続きます。



出航から約5時間経ちました。2年前に行った神津島は通り過ぎました。ただあの時はプロペラ機でさえ50分でしたからやはり飛行機は速いということです。


今回はレアケースで八丈島に寄港します。理由は後ほど知る事となります。


寄港と夕食の前にシャワーを浴びます。


自販機で何か買うか・・・


このショップドルフィンで買った方が母島ラウンジより安いことが判明しました。


スマホも圏外ですので他のお客さんも過ごし方は様々です。自分もまたご当地ドリンクで1番上のデッキで涼みます。


伊豆諸島の中では最果ての八丈島が見えてきました。


約7時間経過しました、間も無く寄港します。