前回 3/13日 掲載からの続きです。
終盤にきて大移動が続き朝はゆっくりしたいがラマダン入りの影響もあり
旅程も若干早めに行動していく必要があるためこの日も早い出発。
とりあえずよかったことは周りがド田舎で早朝からアザーンの声で
悩まされることがなかったのがせめてもの救いかな~。
さらにここから東へ100キロほどのマリ遺跡を目指すが、
だんだんと辺り一面非常に濃い霧で見えないくらいに。
という訳で視界も悪いし道も悪いしテンションも低く、
約3時間ほどガイドさんとの会話もなく目的地へ到着です。
着いたときはかなり視界は良くなってきたけど・・・
下は粘土質でドロドロで周りは何もない・・・。
マリは世界最古のメソポタミア文明の中心として
紀元前3000~1700年頃栄え、紀元前1758年に
バビロニアのハムラビによって破壊された。
粘土板と外交文書の跡がささやかに残っていたが・・・
出土品はほぼ博物館に展示され現地の保存状態は極めて悪い。
特にこれといった見所もなくちょっとがっかりだったが
近くにベドウィンの方々がいたので撮らせてもらえました。
次は20キロほど戻りドゥラ・エウロポスを訪れる。
ここの管理人のオヤジ だと思われるが、
後ろに背負っている銃の試し撃ちしないかと
もちろん有料で勧められるがもちろんお断りです。
なんかこの後いろいろついてきたけど単なる小遣い稼ぎでしょう。
紀元前3世紀ギリシャ植民地時代にアレキサンダー大王の部将
セレウコスによって造られた軍事都市でドゥラとは古代セム語で
要塞を意味しておりその後は、パルテア軍やローマ軍の支配を経て
224年ペルシャ軍のシャプール1世によって破壊された。
1920年アラブ軍と交戦中のイギリス軍が壕を掘った際に発見された。
しばらく歩くと前方が開けてきて・・・メソポタミア文明を育てた大河、
歴史の教科書でも習ったユーフラテス川とご対面です。
荒川でも新河岸川でもなく紛れもなく本物です。
これがイラクに入りチグリス川と合流してペルシャ湾に注ぎます。
雄大な景観と当時の人々に思いを馳せながら暫しボーッと・・・。
近くで市が開かれていてちょっと視線がコワかったけど・・・、
東洋人が珍しいのか手を振ってくれました。
いよいよ旅もクライマックスで最後はシリア砂漠の中央部、
世界的にも有名なパルミラ遺跡を目指し約200キロの爆走です。
右も左も何もない不毛の砂漠地帯をボンヤリと眺めていました。
途中からうたた寝をしていたのでしょう・・・。
ガイドさんに起こされたときにはもう市内に入り遅い昼食です。
ラマダン中のわりに現地の客もけっこういて賑わっていたけど・・・。
本来旅程のコースにはなかったけどアラブ城からの眺めもいいらしので、
6ドル払って4WDのジープに乗り換え山の頂上から遺跡を望みます。
これは中東ではポピュラーなラクダレース場です。
はるか遠くはモニュメント・バレーを連想させるような荒野の大地。
サンセットタイムは一同厳粛なムードになり今日の日も無事に終了。
例によってきちんと日没を見届けてからウレシそうに、
パンを懐から取り出し口いっぱいにほおばるガイドさんでした。
どこのホテルも豪華で最高でした。
しかし・・・こんなに客が居なくていいのでしょうか。
次回はサンライズのパルミラ遺跡からお伝えします。