今日は洞爺湖町の虻田神社の紹介です。


こちらの神社に抜群に格好いい狛犬がいらっしゃいます。



ブロンズ製で、たしか昭和47年の奉納だと刻印がありました。



とても凛々しいです。


いつ見ても格好いいなと思います。


虻田神社は、かつては稲荷神社と称していたそうで、御祭神は稲荷大神、保食主神(うけもちぬしのかみ)です。


毎回ではありませんが、訪問時にリスやトカゲといった歓迎のサインを見せていただいたことがありました。



現在は社殿が工事中です。


公式サイトによると御創祀220年記念事業の改修工事だそうです。


また来年も参拝できたらいいなと思います。

近年、年1回のペースで洞爺湖方面へ出かけます。


今年も先日行ってきました。


今日は洞爺湖の湖畔にある洞爺八幡神社を紹介したいと思います。



洞爺八幡神社は、夕日が見える渚公園の向かいにあります。



のんびりとした雰囲気の境内です。



御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)です。


静かな神社ですので落ち着いて参拝ができます。


以前「不思議な洞爺湖」の記事で書いたように、湖畔ではゆったりとした空気が流れています。


そのため、こちらの神社の境内に居ても、そんな空気があるように思えます。



神社の向かいにある、夕日が見える渚公園からの景色です。


湖畔にはロープが張られていて、渚には近づけなくなっていたのが残念です。


ここで深呼吸をしてリラックスしました。


不思議な癒やしの効果があるような気がして、洞爺湖は好きな所になりました。

睡眠中に見る夢についてですが、どうも攻撃的·加害的な夢を見ることが増えた気がします。


不快な気分で目が覚めるということが度々あります。


どうやら睡眠中も侵入思考が生じているように思えます。


ひとつ前の記事で侵入思考の生成は速いと書きましたが、瞬時にできる夢を生成できるほどに速いのだと、あらためて感じさせられます。


睡眠中も侵入思考が生じる脳の回路がよく働いているのでしょうか。


自分の意思では脳を制御できませんので、もどかしいです。



起きている時と違って夢の中では、侵入思考にストップをかける理性が弱いですし、過剰な攻撃性をどうすることもできません。


脳の不具合でこうなっているのですが、私の脳は一体何がしたいのか?と思ってしまいます。


寝てる間も心が休まらない場合があるというのは残念なことです。


不快な夢を見て起きても、所詮は夢だと思うしかないのかもしれません。


現在X(twitter)をしていないのですが、ヤフーのリアルタイム検索を使えばXのポストが見られます。

 

侵入思考をキーワードにしてリアルタイム検索をすると、常に誰かしらポストしているのが分かります。

 

侵入思考で悩んでいる方は案外多いという印象を受けます。

 

健常者でも出るものだと言われますし、これで困っている方はけっこういらっしゃるのかもしれません。

 

 

侵入思考って本当に言葉通りに「侵入」してくるような存在です。

 

思ってもいないことが浮かんでしまうものです。

 

大切に思っている人や物に対して、ひどいことを勝手に想像してしまうのがつらいところです。

 

侵入思考を観察していると、心と真逆のことを侵入思考は言ってしまうと分かります。

 

なので侵入思考が浮かぶと、それを打ち消すように考え直したりするわけです。

 

 

侵入思考の厄介な点は、侵入思考の発生を防げないというところです。

 

電光石火の速さで、心で意識するよりも早く、瞬時に生じてしまいます。

 

「心で意識するよりも早いというのは、どういうこと?」と思われるかもしれませんが、これを抱えている方なら分かってくださると思います。

 

心の思考よりも侵入思考の方が意識上に浮かんでくるのが早いのです。

 

気付いた時にはもう侵入思考が浮かんでしまっていた状況になってしまいます。

 

なぜ、こんなにも速く出るのかわかりません。

 

脳の神経系の何らかのエラーで、通常の思考よりも侵入思考の方が優先的に出てしまうようになっているのでしょうか?

 

通常の思考が使っている脳内の神経回路よりも侵入思考の回路の方が短くて、それで心よりも先に侵入思考が生じてしまうのだろうか?と思ったりしますが、素人のイメージなので合っているかは分かりません。

 

 

とにかく侵入思考の生成の速さには舌を巻きます。

 

私は、脳の不具合で自分の心をいじめる神経回路ができてしまったようだと思っています。

 

侵入思考の発生は止められなくても、何とか、それを抱えつつも前進するしかないなと思います。

 

 

 



年に一回、洞爺湖町の虻田神社に参拝に行っているので、洞爺湖にも立ち寄っています。


これまで何度か洞爺湖に来る度に、洞爺湖の湖畔では空気が違うということを感じました。


不思議なことに、湖畔に行くと空気が変化します。


何だかゆったりとした空気が流れているのです。


気持ちがほぐれてくるような、不思議な作用があるように感じられます。



洞爺湖には何かあるのでしょうか?


私には具体的なことは分かりませんが、パワースポットなのは確かだろうなと、個人的には思います。



今回はメンタル面の話です。

 

以前、侵入思考(強迫観念)に対して、それに慣れて心の過剰反応を抑えるのが大事だと思うと書きましたが、それは暴露療法のアプローチと同じことを言っているのだと思います。

 

私は自然と曝露療法を行ってきたんだなと思います。

 

この曝露療法の効果はあると実感しています。

 

私の場合、通院し服薬をしていますが、薬の効果はそれほど感じていません。

 

曝露療法による成果によって安定しているのだろうかと考えています。

 

安定しているとは言っても、侵入思考は出てきてしまいます。

 

侵入思考の発生を防ぐことはできませんし、脳の神経系のエラーを私の意思で制御することもできません。

 

現状でできることは服薬をして侵入思考の発生を抑制するか、曝露療法で心を侵入思考に慣れさせるかということぐらいでしょう。

 

私はその2つとも試しています。

 

 

曝露療法のポイントは侵入思考(強迫観念)の出る場面に何度も自分の身をおくことです。

 

繰り返しやっているうちに不安感は減少しますし、侵入思考がどんなものなのか、回数を経て分かってくるようになります。

 

心の調子は一定ではありませんので、侵入思考で動揺する度合いもその時々で異なりますが、そういうものだ・・と捉えるしかないのではないかと思います。

 

心の調子が悪いのであれば服薬をするとか、曝露療法のハードルを調整するといったことが必要です。

 

曝露療法を行う上で心理士によるプログラムを受けられるのであれば、それがいいとは思うのですが、実際には心理療法を受けられるところは限られていて、独りで実行せざるをえないことが多いのではないでしょうか。

 

心の病気になってしまっても、結局、医師や心理士が心を回復させてくれるわけではありませんから、「自分で頑張る」という気合いが必要になってきます。

 

不調だと気合いも持てない時があるのも分かりますが。

 

 

症状が寛解してくれたらいいのですが、今はまだそれも望めません。

 

人それぞれでしょうが、どの辺りが治療のゴール地点になるのでしょうか。

 

私は曝露療法のアプローチによって、そのゴール地点は近づいたはずだと思っています。

 

 

 

それは2015年の12月のことでした。

 

私は以前暮らしていた街の神社を訪問しました。

 

普通に参拝をして、駐車場に戻り車に乗りました。

 

すぐには去らずに、少しぼーっとして一息ついていました。

 

すると唐突に「ポン!」とことばが降りてきました。

 

「思考は頭の中の出来事である。思考は事実ではない。」と。

 

それまで何も考えていなかったのに、突然ことばが現れて驚きました。

 

このことばはどこかで聞いたことがあったなと思いました。

 

その正体は、2010年頃に読んだ認知療法のテキストの一節でした。

 

神様は私の頭の中をスキャンして、そしてこのことばを与えてくれたのでしょうか。

 

参拝者をスキャンしてしまうなんて、神様はすごいな・・というより怖いな・・と畏怖の念を覚えました。

 

私はその2年後に強迫性障害を患いました。

 

あの時いただいたことばって強迫性障害の侵入思考(強迫観念)に対してもいえることなのかなと、後年、思いつきました。

 

「侵入思考は頭の中の出来事である。侵入思考は事実ではない。」

 

たしかに侵入思考は頭の中の出来事だなと思えます。

 

そして侵入思考は事実ではありません。

 

 

私は強迫性障害で調子の悪いときもありますが、そんなときは「侵入思考は頭の中の出来事に過ぎない・・」と反芻しています。

 

降りてきたことばは強迫性障害やうつ病の人に限らず、広く一般の人にも当てはまることばだと思います。

 

たとえば頭の中が不安でいっぱいの時に、このことばを思い出してみてください。

 

「思考は頭の中の出来事である。思考は事実ではない。」と。

 

この場合、自分自身で不安なイメージを作っているに過ぎなくて、まだ現実はそうはなっていない、と気づきやすくなります。

 

 

いただいたことばがどなたかの参考になれば幸いです。

 

ブログ上には書けませんが、ある困りごとがあります。

 

それは私には直接、関係のないことですが。

 

そうした困りごとに強そうな神仏の元へ相談・願掛けに行こうと思いまして、数年前に不動明王さまが御本尊の寺院へお参りに行きました。

 

応対していただいた住職さんが、お盆も近いためなのか、多忙な時に私は訪問してしまったようでした。

 

他に同時に来客があったようで、待たせているらしく、「気のすむまでお参りしていってください」と言われ、本堂で一人になりました。

 

お言葉に甘えて、本堂の不動明王さまの仏像に向かって話しかけました。

 

今日伺った理由を話して「〇〇というこの事象をとめてください」と願掛けしました。

 

不動明王

それから私はせっかくの機会なので、暗記してきた光明真言を唱えさせていただこうと思いました。

 

「おん あぼきゃ べいろしゃのう・・」と唱え始めていたら・・。

 

突然、本堂の空間が「グン!」と強い圧を放ち始めたようでした。

 

その変化をうまく表現できませんが、急に空間が変わったのは確かでした。

 

目には見えていなくても、今、不動明王さまが目の前にいらっしゃるんだな、と直感で感じました。

 

そうして不動明王さまと直接お会いすることができました。

 

ただ、目の前に出てきてくださっても、何だか唖然としてしまって、あまり話すことはできませんでした。

 

 

あの時の願掛けは結果的には叶っていません。

 

どうやら神仏は人間をコントロールすることはしないようです。

 

人間には自由に行動する権利があるためでしょうか。

 

 

 

偶然だったのかもしれませんが、私の場合は光明真言を唱えたことで不動明王さまが近くに来てくださいました。

 

光明真言は長くはないので、暗記をして仏様の前で唱えてみるのはいかがでしょうか。

 

前回は霊能者による霊視結果を書きました。


境内の雰囲気や、戴いたおみくじの中身から察すると、神仏は私に怒ってはいないようだと思っていましたが、なにぶん直に意見を聞くことができない方々ですので、霊能者に頼らざるをえない面がありました。


私と同じように、不本意ながら神仏に冒涜をしてしまう症状をもつ方は、どれぐらいいらっしゃるのでしょう?


そうした方が、神仏がどう思っているのか気になるのは自然なことだと思います。


私のように霊能者に相談される場合は、信頼できそうな方にされるのがいいと思います。


繰り返しの話になりますが、私が強迫性障害になってもう7年目ですが、その間に冒涜に対するペナルティーはありませんでした。

神仏は寛大かつ冷静な目で参拝者を見ていらっしゃるようです。

神仏は、病気から生じている冒涜をしてしまう者を、病気でそうなっているのだとご存知です。

ですので、この病気になってしまっても、信仰は捨てずにお参りを続けることをおすすめします。

私は発症した後も、時々ですが、神社仏閣で歓迎のサインをいただきます。

ちょうちょや小動物が出現したり、参拝中の天気をよくしてくださいました。

このように病気の者も受け入れてくださっています。

冒涜が浮かんでしまっても、神社仏閣の神仏は悠然としているように感じます。

神仏と直にコンタクトが取れなくても、雰囲気は正しく感じとれているものらしいです。

なので実際、悠然とされているのでしょう。


発症してしまった者は、症状を抱えながら神仏に会うしかないなと思います。


それでも私自身、あなた自身を受けとめてくださるのが神仏なのでしょう。

以前、不思議な体験をしたこともあって、スピリチュアルな話題に少し興味をもつようになりました。


アメブロ上でも様々な方が情報発信をされていますが、その中で気になる霊能者の方が居ました。


その方がメール鑑定を始めたということを知って、しばらく考えましたが、思いきって鑑定を申し込みました。


最近の記事で書いているように、私は強迫性障害を発症してしまい、参拝時には神仏への暴言(侵入思考)が浮かぶようになってしまいました。


そんな、冒涜をしてしまう私のことを神仏はどう思っているのでしょうか?


私はそのことを非常に気にしておりました。


霊能者を経由して神様に尋ねる機会を得ました。


質問は「侵入思考を抱える私のことをどう思われますか?」です。

一週間後に返事が来ました。

回答は地元の神社の神様にお願いしていました。

市杵島姫さまからの回答
「苦しい日もあれば、いつか笑う日も来る。少し落ち着いてきたのではないか?そなたの性根はやさしい。案ずることはない。」

応神天皇さまからの回答
「こちらにはそなたの苦しみが伝わっておる。心惑うことなく、また来るがよい。心根を腐らすことのないように過ごすがよい。」

以上の霊視結果をいただきました。

霊能者の方からは、神様は病気から生じている冒涜ではなく、私の本質を見ておられる、と説明がありました。

前の記事で書いたように、やはり怒ってはいらっしゃらないのだなと分かりました。

こうして回答をいただいたことで、私はこんな状態ではあっても、参拝を続けていこうと思いを新たにしました。

続きます。