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7/22(金)〜24(日)
南紀白浜巡礼
熊野本宮大社
最終回
となりました🤗
お届けするのは
✨✨✨
熊野本宮大社⛩
大斎原(おおゆのはら)
✨✨✨
今日のテーマは
熊野の神・天降る
大洪水
熊野本宮大社を参拝したあとは ぜひ産田社→大斎原も参拝してみてください。
公式の参拝順序⛩
熊野本宮大社
↓
産田社(うぶたしゃ)
↓
大斎原(おおゆのはら)
「熊野本宮大社」と「産田社・大斎原」は道路を挟んで 少し離れた場所に鎮座しています。
熊野本宮大社 参道入り口鳥居
産田社(うぶたしゃ)
大斎原(おおゆのはら)
熊野本宮大社 御社殿(本殿)から大斎原の大鳥居までは 私の足で約15分くらいです🚶🚶♀️🚶♂️
御社殿(本殿)
大斎原の大鳥居
大斎原を歩くだけでとても静かな気持ちになり 生きる源をいただきました✨✨✨
画像から先は撮影禁止の看板がありましたので 撮影しておりません🙅♀️
現在 大斎原には建造物は残っていませんが 今でもこの場所を大切に思う人間の気持ちに神様が応えてくれているように伝わってきました。
神様と人間の信頼関係のようなものを感じたとても気持ちの良い場所でした✨✨✨
Q:
元々 熊野本宮大社はどこに鎮座していたのでしょうか?
A:
大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる場所です。
大斎原の歴史✨
知っておくと 熊野本宮大社をより身近に感じると思います🤗
熊野本宮大社境内の案内板および公式ホームページから引用してお伝えしたいと思います🤗
①熊野本宮大社になるまで✨
1889年(明治22年)熊野川の大洪水によって建造物が倒壊してしまう前まで大斎原に熊野本宮大社は鎮座していました。
名称も熊野坐神社(くまのますじんじゃ)または(くまのにいますじんじゃ)と呼ばれていました。
昔は熊野にいらっしゃる神と呼ばれていたそうです✨✨✨
辛うじて倒壊を免れた上四社(三棟)を北西の丘陵(現在の場所)に遷座し 倒壊した中社・下社を摂末社の神々を二基の石造の小さな祠にそれぞれに祀りました。
「熊野川・岩田川・音無川」
三つの川が合流する大斎原の中洲に鎮座していました。
江戸時代までは 橋がなかった為に 参詣者は川を渡り足を濡らさなければ 境内に入れませんでした。
全ての参詣者が自然に身を清める禊をしたそうです。
②熊野の神様✨
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の中で 熊野の神様といえば熊野本宮大社⛩中心的な役割を果たしています。
熊野本宮大社は 全国にある熊野神社の総本宮です。
主祭神は家都美御子大神(ケツミミコノオオカミ)。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)です🤗
本地仏(ホンジブツ)は阿弥陀如来 「熊野権現(クマノゴンゲン)」です。
神様が熊野(大斎原)へ降臨(天降る)までの経緯
中国から渡来
↓
四国
↓
淡路島
↓
紀伊切部山
↓
新宮神倉
↓
大斎原に天降ったそうです。
※
熊野の神々は中洲のイチイの巨木の梢に 三体の月の姿で降臨したとも伝えられています。
③歴史の書物に登場時期✨
熊野の神が歴史の書物に初登場するのは 奈良時代末。社殿に関する記述が見えるのは11世紀のことだそうです。
その後 幾度か造修が行われていますが 基本的な社殿配置の変更は 1889年(明治22年)熊野川の大洪水によって建造物が倒壊するまではなかったそうです。
④日本第一鳥居⛩
幅 約42メートル
高さ 約34メートル
竣工 平成12年5月11日
熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に日本最大の第一鳥居を建立する運びとなったそうです🤗
鳥居⛩は 神社が神聖で清らかな場所であること つまり 神様のおはしますことを示す一種の門です。
神が宿る神域と人間が住む俗界との結界を表します。
1889年(明治22年)熊野川の大洪水によって建造物が倒壊しても 見事に復活を果たした熊野本宮大社⛩
「よみがえり」のご利益は 熊野にいらっしゃる神様自身が経験をされたことで さらにパワーを増したのかなと想像します✨✨✨
復活したければ熊野詣においでませ。
ご縁に感謝
さされいこ
南紀白浜巡礼
熊野詣【完】
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東京の台所2
(2021年5月26日配信)
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