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みなさま こんばんは
昨夜 伊勢巡礼(9/13〜16)より元気にお供のみなさんと帰ってきました。
はじめに
滞在中の同行に感謝申し上げます。
14〜15日(Mさま・名古屋在住)
16日(Rさま・東京在住)
とても充実した時間になりました。ありがとうございました。
東京に戻ってきましたが 「伊勢巡礼で見て感じたこと」をお伝えしていきたいと思います。
椿大神社(三重県鈴鹿市)境内には「行満堂」というお堂があります。
神社に仏さま?お寺?なんだろう思いますよね。
正式には「行満堂神殿(ぎょうまんどうしんでん)」といいます。
このお堂ができるまでの経緯を「椿大神社二千年史(先代宮司 山本行隆著)」より一部引用してお伝えしたいと思います。
①神仏混淆(しんぶつこんこう)時代
・椿大神社には別当寺六ヶ寺が併設されていました。
・椿大神社に連なる山すそには宿坊跡や寺院跡があります。
②焼死した四百人以上の僧の霊
・夜中の滝にみそぎを行い その修行中 織田勢の兵火によって焼死した四百年前の無縁僧侶たちの霊が現れました。
・このとき彼らの供養をしなければ椿大神社は前に進めないことに気づいたそうです。
・そこで 法華経 護摩修法を習い 施我鬼供養と無縁供養をおよそ十年間続けたそうです。
③神道・仏教の狭い枠に閉じこもらない
・生前 仏教僧として活躍をしていた人には仏教に基づく祭り方をしなければいけないそうです。
・昔の六ヶ寺に祀られていた六体の内 一年に一体ずつ四年がかりで「大日如来」「十一面観音菩薩」「薬師如来」「不動明王」の四体を刻んで行満堂に奉安し 法華経と般若心経を読経(どきょう)して 霊を慰めたそうです。
④完成
・建造に約三億円。昭和五十三年に神道の慰霊殿である施設「行満堂」は完成します。
・椿大神社の初代神主は 行満大明神(ぎょうまんだいみょうじん)と伝えられているそうです。
・その名を取って「行満堂」と命名したそうです。
⑤神式の慰霊
・神社に奉仕した昭和の大造営以来の役員の方々のうちの物故者。また 特に世界平和に貢献した方々の霊を祀る斎場としました。
・仏像は全て「大日如来神」というように神名を付け 物故された方は命名をつけて祀りました。
・四百余名の無縁仏の他 昭和の大造営のときお世話になった神社の役員や恩人の方 二百七十六柱を祀っているそうです(※昭和五十三年当時)。
神社本庁からは...
神社に仏像を祭ったというので 調査に来たが 事情を説明して納得してもらったそうです。
堂内は見学することができます。
完成から42年。
天井や柱は 護摩焚や蝋燭の煙によって黒く燻されていました。
堂内の撮影はせず。画像はございません。
安置されている仏像を前に 正座して眺めていました。
「人間は役割りを持って生まれてくる」「その役割りをどのように活かして一生を終えるのかは 毎日の行いが大切」だと思います。
拝んでいる時に大日如来神は「にこりと笑っているような表情」をしていました。
神社を訪れた時には 堂内で対面してみるのはいかがでしょうか。
神道・仏教といった狭い枠に閉じこもらない先代宮司の御心に触れるひとときでした。
伊勢巡礼はつづく
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