みなさま おはようございます。
一昨日(5/8)石巻(宮城県)より元気に帰ってきました。
この言葉の意味は
「悪ふざけはダメでしょ!津波!!」「がんばろう石巻!!」です。
毎年 この場所を訪れる最大の目的は Wご夫妻にお会いしたいからです。
ご夫妻とは親子ほどの歳が離れているので 3人で一緒にいると「親子ですか?」と声をかけられる時があります。そんな時には「はい東京の娘です」と返事をします。
Wご夫妻には子供さんがいません。
Wご夫妻が私のことを「娘でも嫁でも お好きなように思っていただけたら嬉しく思います」。
約4年前 石巻ハリストス正教会で Wご夫妻の奥さまに声をかけていただいてから まさか毎年石巻を訪れることになるとは夢にも思ってはいませんでした。
人生は不思議なものだなと思います。
たった一言が「多くのご縁を広げていく」のだと思います。
Wご夫妻に会うための石巻巡礼をはじめて 今年で3年目になります。
1年目は「お人形をいっぱい持った不思議な人」と思われていたようです(笑)。
それから Wご夫妻のお力もあり 地元の人たちと知り合う機会ができて 今年は「お供のみなさんのことも含めて 再会を喜んでくれていました」。
親しくなるといろいろなお話を聞くことができます。話の内容によっては 「地震も津波も被災経験がない私が聞いていいものか?どうなのか?」考えさせられる場面に遭遇することが何度かありました。
毎年訪れると 完全な復興までには まだまだ長い道のりだけれど「進んでいる」と感じることができます。
仮設は閉鎖されて姿を消し 代わりに復興住宅が立ち並ぶ景色を眺めることができます。
日常生活を取り戻しつつありますが 今年は「
「埋められない溝・見えない壁」
背景にはお金が絡んでいます。
ある場面で あまりに見兼ねて「よそから来た部外者で 震災ボランティアにも参加したことはありませんが」
「
敢えてみなさんが言えないことを口にすると想像したとおり「
しばらくすると一人の女性が「それが聞けないから辛い」
そのうちにお互いに「ごめんね」「ありがとう」
地域性などもあるのは十分理解しています。
昔は争いごともなく、
やはり「お互いの気持ちを伝えることのできる会話は大切」
昨日まで普通に何でも話てきた友人や隣りのお父さんお母さんが 震災を境に「お互いの顔色を伺うようになることはとても悲しいこと」だと思います。
何よりも津波の犠牲になって亡くなられた人たちが一番悲しむのではと思います。
私は来年もまた石巻を訪れると思います。
ボランティアも何もしません。
ただ「その場所に笑顔で待ってくれている人がいるから会いたい」それだけです。
みんなが普通に話せる日に戻るまで!
毎日祈っています。
「がんばっぺ!石巻」
「もうくんな津波!?」
「おっかねから・・・」
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