偏差値35⑤志望校を上智大学へ | 偏差値35からの上智大外国語合格記

偏差値35からの上智大外国語合格記

息子が東大理科一類を受験するも不合格。浪人生活を送ることに…そういえばオレも浪人時代を過ごしたな。色々と思い出したので、自分の体験談を残そうと思いました。底辺校どん尻からの大逆転劇です。何かの参考になれば幸いです。

 新聞記者になりたいとの思いが強くなり、ジャーナリズムを学べる学校を探しました。上智大の文学部に新聞学科があると発見。第一志望を上智大新聞学科に据えました。

 

 その後も手を緩めることなく受験勉強に没頭。英国社で偏差値60前後をとれるように。一度だけ上智大模試の国語で偏差値70オーバーをたたき出し、全国10位以内になったこともありました。

 

 マークシートゆえ塗ったら当たったという設問もあったでしょうが、これが一つの自信になったかもしれません。

 

 ただ冬に入り、12~1月ごろに受けた模試は3教科の偏差値が55を割り込むという事態に陥りました。それでも大して焦らなかった記憶があります。

 これだけ大量の時間を受験勉強に費やしてきたのだから、絶対に誰にも負けないぞ!という自信が身についていたからです。

 

 そしていよいよ受験シーズン。センター試験は3教科だけ受験。点数は覚えていませんが、せいぜい7割くらいでしょうね。それをもとに国公立は愛知県立大学外国語学部に出願。

 

 私立は東京にある大学に絞り込みました。立教(法、文)、慶応(文、法、環境情報)、上智(文、法、外国語、文)、日大(国際関係)に出願。

 

 受験した順番は覚えていませんが、滑り止めに位置づけた日大国際関係学部に不合格。立教や慶応、上智も次々と不合格でした。それでもなぜか、合格する自信がありました。そして上智外国語学部ロシア語学科の1次試験に合格!

 

 2次試験に面接があったので高校に連絡しました。おそらく英語で面接があるだろうと当時の担任に言われたため、米国人の英語教師に模擬面接をしてもらいました。

 それから東京へ戻り、2次試験に挑戦。英語ではなく日本語でやりとりする普通の面接でした…

 

 一次試験は四ッ谷キャンパスに張り出された受験番号を見に行きましたが、2次試験の結果は郵送。通知書が送られて開封すると合格してました。だから2/20の慶応環境情報学部は受験しませんでしたね。

 

 偏差値35で始めた受験勉強は足かけ2年半ほど。勉強が全くできないダメ生徒が当時最上位(偏差値66)の上智外国語に合格したため、高校の職員室はどよめいたそうです。

 そして合格報告に行くと、教頭が走り寄ってきて私の両手をガチリとつかみ「君ならやってくれると思っていた!」と。

 

 いえ、先生、オレのこと、覚えてないでしょ……

 

 誰もが驚き、高校同級生や予備校仲間からは「奇跡」や「まぐれ」とも言われましたね。でも愛知県立大学外国語学部も合格(補欠でしたが)したので完全なマグレではないと考えております。

 

 幸運だったのは間違いありません。ただ、その運を導き寄せたのは自分の努力であり、自信を持ち続ける精神力だったと思います。

 

 受験に臨む人やそのご両親には、そのことをお伝えしたいですね。(了)