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先週末に、国家計量士の試験をうけてきました!
濃度(化学系)
振動(物理系?範囲を限定される?)
一般(機材、数学系)
と3つに分かれている中、
もっとも受験者が少なく
合格率の低い一般計量士を。
(´ー`)ノ ハイ
問題用紙は持ち帰れるし
翌日には解答がでるので
まぁ、既に不合格、
ボロボロやったという結果が出てますが(笑)
久々に、勉強楽しいなと思いました。
(*´∀`*)あはは
ねーちゃん、勉強好きとかアホちゃう?
大人になったらね、勉強楽しいよ?(笑)
なんだかんだで、
全くと言っていいほど勉強しなかったので
周囲に申し訳ないくらい、
ちょー気楽に受験してました。
だからかな?
問題自体は、実はあんまり難しくない気がしました。
難しいのがたまにあるけれど
それはあからさまに捨て問題。
分野は広いけれど
傾向を掴んで、基本的なことを押さえておくだけで大丈夫な気がする。
‥少なくとも、
高専の先生方の、
変態趣味爆裂問題に慣らされてきた者だからか‥
国家試験だからか‥
題意を誤解させないように
最大限配慮された
素直な問題にしか見えない!(笑)
来年はイケる気がするよ!
(`・ω・´ )b
現在2人確保しているけれど
仲間内で勉強会を定期開催予定!
頑張れ皆の衆〜
(´▽`)ノシ ←オマエモナ!
黙祷‥。
なんか今日は泣けてきた。
とても‥怖い思いをしたんだろうな‥
私たちですら、こんなに怖かったから‥
この世を去った魂が
この世に生き続ける魂が
どうか少しでも癒されますように。
きっと‥
地球の歴史からしたら
地震
火山噴火
洪水
豪雪
氷河期
温暖化
‥
私たちがいま直面する自然の変化は
些細なことで
こうやって地球は、
私たちが踏みしめる地は
形を変えてきた。
ほんの100年、
人が生きれる、ほんの数万年
平和な時代が続いているだけ‥
きっと未来は
地表の形がもっと変わってしまうかも。
人は生きれなくなってしまうのかもしれないね‥
そんな歴史の上にあるのに
人類を脅かすような巨大な災害は起こらない
そういう考えがまかり通っていることが
不思議なのです。
会社でも言われています
「この土地なら、○メートル以上の津波は来ない」
「3階以上に避難すれば大丈夫」
何が大丈夫なんだろう?
そういうデータが覆されてしまったから
このような震災になったんじゃないの?
だけど、平和な時代、
たかだか100年の統計データじゃ
想定外はいくらでも起こる。
だって
4600000000年分の、100年、
気象データならば50年ほど?
そういう数字を見ると、
恐ろしくもなります。
だからせめて、
想定外の、
この震災を乗り越えられるだけの
安全は備えておきたい。
そう思います。
対策ができる。
語り継ぐこと、それも大事だけど
できるなら、
わたしたちが持つ残りの寿命は
生の体験から、必要と思うことを
整備して残していくこと
それができたらいいですね。
だいぶサボってしまいました‥
書く義務もないのだけれど(笑)
思いつめるくらいなら、言葉にしてしまったほうが楽になるので
またぼちぼち、ぼやいていけたらと、思います。
さてさて
先月下旬。
子供のころから行ってますが
また大人になってから見ると、
その頃とはちがった感動をおぼえます。
6年前の今日はちょうど
東日本大震災が起きた日で
自衛隊さんをはじめ、
助け合って生きるネットワークを、
再確認した日でした。
また、たくさんの「安全」が
覆された日でした。
こすもはまだ生まれてなかったかな?
ペットの地震対策は、未だに、
どうするのが正解かわからないね‥
南関東は、大きな被害こそなかったけれど
いつかは何かが起こるかもしれない。
備えておかないとね。
幸い、工場にはいなくて
揺れはじめこそ談笑していたのに
15秒くらいすぎた頃かな?
いやまずくないかこれ??
震源地どうなってる!?
(揺れはじめがおだやかだったので、震源地はそこそこ距離があると思った)
書類や文献が崩落しはじめ
重たい複合機が迷走しはじめ
ギツギツした揺れがおさまらなくて
事務所は
「えっ?どうすんのこれ??」
誰が身を守る行動をとるでもなく、
避難をするわけでもなく、
ぼんやり、混乱していたと、覚えています、
わたしは一足先に
ヘルメットかぶって机の下にいました
(ビビり)
実際に危機に面したらできないもの、と
皆、実感したのではないでしょうか。
我に返ったように、館内放送がかかって、
揺れがおさまったあたりで、
まだ
半信半疑、といったぼんやりした雰囲気で、
避難訓練のような避難がはじまりました。
とりあえず、どーすんの?て空気で
屋外で数分待機したあと
悠長な感じで、
ハイ、皆職場に戻ってー
と、総務部のひと声。
避難訓練と同じ。
違和感を覚えて、わたしは何だか
建物内に戻る気がしませんでした。
いいの?って思ってました。
人波に流されるように建物内に入り、
狭い階段を登ろうとしたところでまた
ギツン!!
と大きな揺れが発生
一瞬にして、狭い通路が混乱に陥りました。
今度こそヤバい。
皆がきっとそう思った。
ぼんやりしている私は
周囲が慌てふためく様子を
俯瞰するように眺めながら
人波から外れて、外に出ました。
数分前とは違う、
焦りと不安にあふれた待機
皆の総務部に対する苛立ちが感じられたけれど
それはたぶん、
皆が皆、予知できなかった危機、
それに対する対応策の無さへの
焦りに感じました。
そこでようやく、
携帯電話で震源地のことを調べはじめるひとが出始めました。
青白い顔で
え、え、うそ‥どうしよう‥
泣き出しそうで、泣けない様子でフラフラとしていたので
抱きとめてしばらく、背中をさすっていました。
大丈夫、なんて、励ます言葉もありませんでした。
すぐ避難できるようにと
職場の皆は食堂に集められ、
会社の対応を待つことになりました。
そこで、誰かがテレビをつけると
津波がまさに、東北の街を飲み込んでいく様子が
淡々と放映されていました。
なんで?
なんで?
わたしも混乱しました。
あそこには人がいるんだよね?
なんでこんなに淡々と??
助けてよ、撮ってないで‥
誰もが、言葉もなく、その様子を見つめていました。
砂浜に打ち上げられた遺体が数百
これがいちばん怖かった。
は????
なにそれ???
なんの冗談??
としか、思えなかった。
ほどなくして、千葉県内でも
ガスコンビナートが爆発して炎上する様子が映し出され
ただただ、絶望感にのまれていました。
時間が経つごとに、更に深く。
携帯電話はさして機能せず、
家族とも連絡がつかない状態でした。
この半年くらい、体調も環境もえらくわるいのですが
れみさんが旅立って、少し経って
吐き気やダルさがやわらぎ、
ごはんが食べられるようになり、
体重の減少が止まり、
気持ちが前向きになってきた気がします。
れみさんが、わるいとこを持って行ってくれたのかな‥
まだ生きたかった無垢な命と
生きれるのに、生きることを投げ出したくなる、贅沢極まりない命
運命は理不尽だ。
だから、もーちょっと
がんばるね。