米粒 | 笹生実久オフィシャルブログ 「そこに山があったら登れ」

米粒

米粒のことを考える。

幼い頃からである。


食事の時の茶碗に残ってしまう米粒を見る時、

米をとぐ時に水と一緒に流れていってしまう米粒を見る時、

米粒のことを考えてしまうのである。


この米粒、数々の道のり、困難を乗り越えてやっとここまで来たのに、

茶碗によそられたところまできたのに、

なんの因果か茶碗にはりついて、食べられることなく捨てられる。


米をとぐ際の流れていってしまった米粒もまた同じ、である。


苗からやっと成長し、収穫され、選別され、米として売られ、誰かの家のご飯の時間、やっと米をとぐところまできて、それなのに道半ばで排水溝に流れていってしまった米粒。


なぜか米粒にだけは、

思いを馳せてしまうのは、

米ひとつひとつ農家の方が〜とか、

そんなふうな昭和に生まれ育ったからだろうか。


いまだに米粒のことを考えてしまうのである。


そんなふうに思ってしまうことって、ありませんか??