西日暮里探訪2022 | ささのブログ

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久々の頂き物、枇杷とサクランボ。果物は全般的に普段ほとんど食べないが例外が4つ。年に1回は買ってでも食べたいのがパイナップルと洋梨。もらって嬉しいのがサクランボと枇杷。いいサクランボは買う気が失せるほど高いし、枇杷はそもそも近所のスーパーに並ばない。今年は初夏の味、堪能♪

 

昨日は6週に1度のクリニックの検診日。午前中に行ったら結構待合が混んでいて、受付で1時間くらいかかる、と言われた。いい機会で、ならばしばらくクリニックの周りを散歩してこようと思い、「では1時間後に来ます」とカードを出して外に出た。というのも、この辺りに10年間住んだことがあるからだ。

 

今のマンションに移る15年前まで、西日暮里に住んでいた。それまで住んでいた西新井のアパートが取り壊しで引っ越す必要が生じ、都心に出るのに交通の便が良く、なおかつ家賃が割合安いところ、という条件で日暮里~西日暮里を中心に不動産屋を回って選んだ部屋だった。そこに、31歳から41歳までの10年間、住んだ。

 

1時間あれば、周囲を歩き回るには十分。早速、住んでいたところから京成線の新三河島へ行く道を歩いた。まずあるのが地蔵尊。これは健在。こういうのはよほどのことが無い限り無くならないのだろう。ところが、そこから駅に行く道に全く見覚えが無い。古い家ばかりなのでここ15年で変わっていないと思うのだが、記憶がない。

 

昼食によく通ったきたないラーメン屋の場所は、こじゃれたアパートになっているし、舞台で疲れ切ったときにだけ利用した銭湯も、分譲マンションに建て変わっている。巨大な辞典を2冊引き取ってもらったガード下の古書店は跡形も無い。近所に大きなスーパー「いなげ屋」が出来るまで利用していた地元スーパー「Nマート」は次の建物を建てるために工事中。

 

結局、住んでいた当時と変わらないのは毎年1回行く必要があった税務署と、水泳の北島康介選手のご実家の精肉店ぐらい。取手・西新井・日暮里で体験した大規模な再開発などはなかったが、思い出のモニュメントが地味に消えてていた。ちなみに10年間住んでいたアパートはそのまま。これまでの人生で9か所引っ越しをしてきたが、過去8か所で建物が現存しているのはここだけだ。

 

最寄り駅の一つに、常磐線の三河島駅があるが、ここで60年前に悲惨極まりない三重の列車事故が起きていたことを知ったのは、西日暮里に引っ越しが決まってからだった。「今度は西日暮里に住むことになった、常磐線の三河島駅が最寄り駅の一つだ」と両親に告げたとき、三河島駅ってあの大事故が起きたところだよな、と眉をひそめられたのを今でもよく覚えている。

 

15年ぶりに西日暮里のアパート近辺をくまなく歩いてクリニックに戻ると40分が経っていた。このクリニックは西日暮里から王子に引っ越す直前に開業し、以来お世話になっている。が、不思議とこれまで、受診のついでに散歩したことはなかった。、待合が混んでいる日に偶然受診したことで、思ってもいなかった探訪が出来た。