ボディーボックス奏法4 N.Y.の悪夢1 | ささのブログ

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声にならない悲鳴を、私は恐らく人生で初めてあげた。2011年3月30日午後、ニューヨーク・コロンビア大学ミラーシアターの楽屋で。


2011年3月18日、成田空港。そこにはいつもとはまったく違う見たこともない光景が広がっていた。東日本大震災から一週間、東京のスーパーでも、パン・即席めんといった、すぐに食べられるものが棚から消え、エスカレーターが止まり、福島の原発が次々と爆発を起こし、先の見えない不安の中での渡米であった。


成田空港では出国ロビーに向かう廊下で帰国の便を待つ中国人が、もう何日そこにいるのだろう、という雰囲気で床にダンボールを敷いて座っていた。出国ロビーは、とても日本の空港とは思えないほどの外国人で埋め尽くされていた。


 毎年、2月~3月にコロンビア大学中世日本研究所の雅楽プロジェクトに呼ばれるようになってもう6~7年経つ。こんな時期に日本を離れるのはつらかったが、舞台のキャンセルが相次ぐ中、仕事があることは正直ありがたかった。


 例年は1週間ほどの滞在だが、今回はロサンゼルスでも公演があるので、2週間の旅程。
事故は最終日のコンサートのリハーサル中に起きた。


 学生とのリハーサルを終え楽屋に戻り、次の曲のために尺八を革袋から出したときに見た光景は一生忘れられない。2つに分かれる上管側の真正面が真っ二つに裂けていたのだ。一直線の光が管内に漏れるほどで、かろうじて歌口で止まっていたが、歌口もそのサイドが完全にはずれていた。見た瞬間に、今夜の演奏は不可能だと思った。否、確信した。


他の曲ならば即座にあきらめていたと思う。が、どうしてもやりたい曲だった。21才、大学3年のときにハープのレッスンを半年に渡って受けて作曲した、尺八とハープの二重奏曲「夜空」。ハープは2度目の共演となるささのブログ ブリジット・キベイさん。自作の曲を海外でやることは何度かあったが、地元のプロの演奏家と共演するのは初めてだったし、自作品の中でも思い入れの強い曲だった。それだけに、ニューヨークでやりたかった。ささのブログ


 万に一つの望みをかけて、舞台係からテープを借りて、とりあえず表側に貼ってみた。案の定、まったく鳴らない。内側は手では貼れないので、割り箸をテープの両端につけて、管に通し貼ってみた。すると、すかすかではあるが、鳴るようになった。ならばと、テープを細かくちぎり、4孔の裂け目をふさぎ、歌口のサイドのすき間を塞いでみた。するとずいぶんとましになった。そこで、一度テープをはがし、改めてきちんと新しいテープを貼りなおして試したところ、演奏不可能ではないかも、と思える段階になった。


あとは、この状態でベストの音を出す方法を考えつけば何とかなる。もちろん、まだ十中八九は無理だと思っていたので、スタッフにはたぶん中ささのブログ 止になるだろう、リハで判断すると伝えた。そうこうしているうちにハープのブリジットさん到着。彼女には楽器のトラブルを伝えずにリハを始めた。


 テープで塞いだとはいえ、管が真っ二つに割れているのだ。常識的には鳴るはずがない。だが、私には「楽器に頼らず身体を響かせる」ボディーボックス奏法がある。これを全面に使えばなんとかなるかもしれない。


 いつもは要所要所にしか使わないボディーボックス奏法、この日はすべての音に使った。結果、100%とは行かないまでも、プロの演奏として十分耐える音にコントロール出来るようになった。が、最後2分くらいから音がシューシュー言いはじめた。内側に貼ったテープが呼気による湿気ではがれたのが原因。


リハ前に楽器を暖めるのに少し吹いていて、11分かかる曲の残り2分ではがれたので、内側のテープのタイムリミットは10分前後と判断した。頭の1分半はハープのソロなので、尺八の演奏時間は9分半。テープを貼りなおして本番まで一切吹かなければぎりぎりもつ。その可能性にかけた。


  もちろん、「夜空」の直前までは龍笛を演奏している。尺八に替わっての微妙な唇の調整も出来ない。しかも、「夜空」は、ハープの長いソロのあと、尺八の最高音のピアニッシモから始まる。極限の条件の下、ブリジットさんのソロにより「夜空」が始まった。(以下、続く)