あるご婦人とある場所で,(5年前の6月)に
樺美智子さんを人生の糧として生きてこられた
あるご婦人とお話をさせてもらう機会がございました。
アカシアの花
あるご婦人のお話は、こうです。
私は、学生運動に参加しておりました・・。と
(もしかしたら安保闘争にも参加されたのでは)
今の私は古希も過ぎ、
私は樺美智子さんに恥じない人生を歩んできたと・・
独身だが、念願の教師になり・・
今は、病気と闘っているが・・
樺さんの想い(平和への信念)を心に刻み生きて来たと
私は、強い信念がありとても幸せだと話されました。
私は安保闘争のあった時は、まだ6歳と
後にテレビのニュースでしか知らない出来事でした。
共に闘った同志であった樺美智子さんが生きたかった人生を
その思いを胸に生きてこられたと話すご婦人に
その人生に強烈な衝撃と強い感銘を覚えたのでした。
1960年の流行歌西田佐知子さんが歌ってヒット
いつも安保闘争でバックに流れていた曲でした。
樺美智子さんの鎮魂歌のように思えてなりません。
時代背景を象徴するメロディーと歌詞です。
六月の梅雨時になると思い出します。
♪アカシアの雨にうたれて
このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる朝の光のその中で
冷たくなったわたしを見つけて、、、、、、♪
※アカシアの雨にうたれてとは、アカシアの花が
雨のように散る様だといいます。
ミモザアカシア
1960年6月15日安保闘争で亡くなった東京大学の学生
樺美智子さんの命日が近づいてまいります。
今年で、59年の月日が流れます。昭和のニュース参照
六月の梅雨時になると思い出します。
6月15日には、樺美智子さんの追悼式が今年も行われます。
きっと、あのご婦人も参加されるのでしょう
以下はサイトからの抜粋です。
樺さんのことを思うことは、
同時に彼女の生きられなかった時間を思うことです。
それは僕らが生きた時代と歴史を思うこともあります。
潰えた夢、果たせなかった約束、鮮やかな印象を伴う歓喜、
僕らはそんな日々を樺さんとの対話で再現します。
これは未来の糧になるものです。
そんな列に多くの人が加わっていただくのです。
今年も6月15日の樺美智子さんの追悼の会をひらきたいと思います。 樺美智子さん追悼の会より(国会南通用門前)
歴史に思いを馳せる。とっても大事な事と思います。
樺美智子さんの悲劇。高野悦子さんの悲劇。を胸に刻み
二度と繰り返すことがない平和な令和の時代でありますように、
心から願います。