その昔、言葉も文字もない時代があった。
今では当たり前になっている文字や声に託した自己表現、自己主張。
さらにそれが電波に乗り、たとえば何万キロ離れた場所にさえも一瞬で届く時代。
すごい時代になったもんだと思う。
とても便利で、その便利なシステム無しではもうきっと人は生きていけないだろうと思う。
ただ、それが為に本来、人と人の間にあるべき信頼関係や、心の熱と言った、生きものとしての標準装備のレベルが著しく低下している気がする。
例えば、言葉がなければ相手の表情を伺ったり、体に触れたりしてコミニュケーションを図るイメージが出来る。むしろそうしないと相手と分かり合えない。
でも今はどうだろうか?まず、相手が目の前に居なくてもいい。そして言葉から入っていくコミニュケーションはそのまま脳に届く。バイパスを使ってすこし近道が出来た聴こえ方になるがそうじゃない。
実際、相手の目を見ずして届く言葉というのはこれっぽっちも臭くない。人間身がないとでも言おうか。
そういったことが日常でも影響していて、例えば今の時代、8割以上が
知らない人には声をかけないように。
そう親に教えられる子どもが多いみたいだ。
僕が小さかったころは、
道で出会ったらだれにでも挨拶をしなさい。
これだった。
たった10年、15年でこれだけ人の本質がどんどん捩れて行くのか。
そうすると、今日を0にしたとして、また10年、15年後には人ひとり一人が自ら隔離したような時代が来るんじゃないかと思うと寒気がする。
僕一人がこういう思いを活字で書いている。みんなが読んでくれているこの文字はみんなの脳に直接入っていく。
もし、僕がこの文章を朗読したら、みんなの目の前で語ったら、良し悪しは別として説得力は桁違いだ。
結局そういうことだ。
人と人がうまくやっていくためには、いつの時代も目を見て話すということが一番重要視される。
それでしかないと言っても良いくらい僕は、そう思う。
大きいことがいっぺんに出来ないのは分かる。
だったら、小さいことから始めよう。
もしかしたらそれこそがとても大きいことかもしれんよ?
例えば、
出会った人に挨拶をするとか、
目を見て話すとか。
意外と簡単だよ?
時として文明は負利器。
佐々木リョウ