
さてさて、来週は恒例の古代史座談会。
早いもので今回で5回目。
おかげさまで、毎回盛況でございます。
今回のテーマは「日出ずる処から 天子ゆかりの 京丹後 米軍基地建設 反対」でございます。
日出る処とは、此処、上町台地 大阪 難波でございます。
神仏和合の四天王寺を建立された厩戸皇子。
彼はかの有名な随に送った外交文書「日出ずる処の天子 日没する処の天子にこの書を致す つつがなきや云々」にあるように、此処を日出る処であると宣言したのです。
ほんとに此処は日出る処であるのです。
毎朝、東に連なる生駒山から朝日が昇る此処が、日出る処、なのであります。
厩戸皇子の母方を調べていきますと、どうも、彼の祖母、小姉君が物部からの養子、もしくは人質だったのではという大胆な仮説に行き当たります。
何故なら、仏教を推し進めた蘇我氏の直系である厩戸皇子がなぜ、物部神道の祖山、生駒山を御神体としたのか。
彼には、蘇我と物部の血が、在ったのです。
また、物部を辿ると、丹後の海部氏に行き当たります。
丹後には日本三景の一つ、天橋立。
そして、海部の祖先を祭った籠神社、真名井神社。
つまり、海洋民族が対馬海流に乗って、出雲から丹後に上陸し、丹後王国を形成したらしいのです。
事実、丹後にはおびただしい数の古墳や遺跡が発掘されております。
彼らこそ海部であり、そこから近畿の物部、そして中部東海の尾張氏の源流になるらしいのです。
厩戸皇子は、海部の血を意識してたのかもしれないのです。
だからこそ、四天王寺に神道と仏教の和合を経ったのです。
そんな丹後に、米軍基地の建設が始まっています。
日本の歴史の大切な場所にです。
丹後にはかぐや姫伝説や羽衣伝説等、たくさんの民話が残されています。
今回の趣旨は、この座談会を通して、古代史のハイライトシーンと今の時事を繋げたいのです。
以前も記事にしましたが、例えば原発が建設されている地区は、古代史的にも大和朝廷に敗れた当時の反体制勢力の部落であったりします。
それが千年以上も因縁としてあるのがこの国の國體です。
これは被差別部落に直結します。
また、そういった地域や地区には歴史的に重要な遺跡や文化が残されています。
それを守りたい。
訴えたい。
そして、海を越えて、あなたと、繋がりたい。
日本の古代史は、国内に向けて発信するとともに、アジア周辺諸国に発信することによって、奇跡は起こるかもしれない。
僕は叫ぶ
日出ずる処から 天子ゆかりの 京丹後 米軍基地建設 反対