神武東征を地下から辿りBUCK-TICKまで | 空堀ホイホイ

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昨日は、生駒山を舐めまわすように登ってきました。

まずは、早朝から、大阪地下鉄中央線で生駒駅を目指しました。

大阪の地下鉄中央線とそれと重なって阪神高速13号線の高架は中央通りとして、大阪の交通を東西に繋ぐ大動脈です。

これ、日本神話に出てくる、神武東征の道に重なるんですね。

それが史実としてあったかはさて置き、紀元前は中央大通り辺りはまだまだ海の底でした。

しかし、古代から瀬戸内海の海の道と生駒山を隔てて都を繋ぐ交通、経済、軍事の要所を繋ぐ重要な街道でした。

そんな中央線を地下から生駒に向かうなんて、素敵ではありませんかと、改めて大阪の歴史を噛み締めました。以前は通勤で使っていまして、苦痛以外の何者でもない思いでしかありませんですが。

さて、生駒に着きましてからは、おなじみの生駒ケーブルにて宝山寺へ。






私、初めてだったんですが、良かったですね~。

お寺やけど、大きな注連縄が大きな鳥居に架かってました。






先日の記事でも四天王寺で、既に厩戸皇子が神仏習合されてるという説を書きました。

密教真言宗の空海も、高野山で見事に実践されました。

日本はおおらかな国ですね。

また、これこそ大阪人気質なのかもと思いました。

この日は、生駒山からニギハヤヒを祭る石切神社まで歩いたのですが、まさに、大阪人気質の原点を感じたような気がしました。

農業、商業、芸能がごった煮で、気取らず、むき出しで、日々の生活の中で、いきいきと営まれているのが大阪。

生駒の山上には、大阪の方なら慣れ親しい、生駒山上遊園地。

なんでやねんですわ。

生駒は物部の祖山。

霊山ですよ。

そんな聖域にアミューズメントパークを現代的に解釈したのか、と。

これが、いいんですわ。

十数年ぶりに訪れましたが、生駒山上遊園地から見渡す大阪平野、そして、大阪湾から瀬戸内海。そして西の彼方に連なる六甲山。

数千年前は、海やったんやな~と妄想しましたね。


一緒に同行した友達の親が、以前、ここから大阪の街を眺めた際「ビルが墓標に見える」と仰ったそうです。

まさしく。

あべのハルカスが巨大な墓標に見えました。

なんと文明の儚いことかと、思いました。


大阪は、また、海に沈むかも、とか、思いました。




さて、展望の素晴らしい食堂でオムライスとビールを流し込んで、生駒をサバイバルに下って行きました。


途中、かなりの獣道に迷い込んだかと思いきや、なんと、とんでもない巨石のある石座にたどり着いたり、ニギハヤヒ縁の社殿が、あったりでかなりやばかったです。

生駒、やばいっす。

ニギハヤヒの天孫降臨神話、天の磐船伝説は、もっと遍く国民に知ってほしい。

そして、神武東征神話とは何だったのか??

ホツマツタエ的には、神武は、ヤマトタケルだったとか。

 

出雲の国譲りもそうですが、なんか、この国の歴史のパターンは共通項が在ると思います。


道中、色んな歴史談義をしながら、夕刻に、石切さんにたどり着きました。

石切神社の周りは、占い屋さんがたくさんあります。

商店街の雰囲気が良くて、これは、住吉さんとは違う感じです。

どこか、大陸的なおおらかさを感じました。

ちなみに、石切さんに、神武も合祀されてました。



そうでしょうね、だって、同じ太陽崇拝の海洋民族だったんだから。多分。

そして、丹後の海部氏、籠神社、真名井神社に繋がる、何かをキャッチしてます。



一日歩きまわって、最後は恒例の宴。やはり酒、酒、酒。

どういうわけか、話の話題は、最後に、BUCK-TICK談義で盛り上がりました。