義経〈上〉 (文春文庫)/司馬 遼太郎
義経〈下〉 (文春文庫)/司馬 遼太郎
司馬遼太郎の作品については色々言われてますが、やっぱり面白いです。
よく調べ上げたうえで、歴史の行間にロマンを込めた結果、それが史実と違うとか、読み手の稚拙な解釈をされがちなんでしょうが、歴史への関心を高める入り口やきっかけとしては、司馬遼太郎の作品はどれも素晴らしく、読み応えがあると思います。
去年放送されてた大河ドラマ「清盛」は世間的には不評だったそうですが、個人的には最後まで楽しんで見てました。
あのあたりの時代については疎いので、ドラマをきっかけに少し調べる機会になってますね。
歴史の舞台が関西、西日本が多いので訪れてみたい場所も多くあります。
さて、義経ですが、日本的な英雄でありまして、悲劇のヒーローとして能や歌舞伎などで描かれ伝えられています。
ヤマトタケルと被るようなところもあります。
この司馬遼太郎の作品ではかなりの奇人として描かれております。
一方頼朝は政治家として結構肯定的な人物像が浮かび上がる描き方でした。
よく伝えられているのは、義経はとにかく頼朝に嫌われ、遂には追討されてしまいます。
義経は兄の頼朝とともに平家への復讐に執念を燃やしますが、すべてが裏目に出てしまいます。
その因果は義経の奇特な性格と、時代を翻弄した後白河法皇であった。
とにかく義経は武士として、戦士として、あまりに革命児的であった。
当時の戦術のタブーを次々と破り、連戦連勝を重ね、逆に鎌倉の頼朝、北条家から懼れられた。
鵯越の逆さ落とし、屋島の戦い、壇ノ浦。
この3つの戦いはいずれも義経の大活躍によって連勝し、平家を滅亡させ、武士の世を築く礎になり、日本の歴史を大きく変えました。
生涯でこれだけの偉業を達成すれば間違いなく天下を取れるでしょう。
しかし、義経には絶望的なほど政治感覚が無かった。
司馬遼太郎は読み手に不快になるくらいこの義経の政治音痴ぶりを披露します。
また、女に目が無く、呆れるような性癖を披露します。
おそらくこのあたりは創作色が強いのでしょうが、一般的な義経像に挑発的な示唆を込めてるように感じました。
さて、概ね正統派な歴史小説だと思いましたが、やはり、義経といえば、大陸に逃れ、チンギスハンになったという伝説があります。
このぶっ飛び説をまじめに考察されている方によれば、義経と頼朝とでは、お種の格が違うとのことらしいです。
清盛が白河法皇の子であったという説があるように、王家の血を引き、その血筋は遥か大陸にまで遡り、当時の日本は我々の想像以上に大陸との交流があったらしいとのこと。
平家は日宋貿易で栄え、東北の藤原家も金の輸出で儲けていた。
このあたりのことを調べると、まんざら、義経チンギスハン説もぶっ飛び説で終わらないんです。
つまり、アジア情勢から読み解く源平合戦として見ると非常に面白い。
平家と源氏の対立は古代か中世かではなく、対立軸は開国か鎖国ではなかったのかとの見方が出来るのです。
もちろんそこには王家、帝の意向や干渉が含まれます。
王家、つまり天皇家は大陸からの血統であるのは今更説明は不要。
血筋を受け継いだものがだけが、支配権を 有する。
おそらく義経トンでも説は、頼朝より義経のほうが血統のランクが上であった。
腹違いの兄弟であり、義経の母、常盤が絶世の美女であったと伝えられますが、それ即ち、血統の良いお姫様クラスの女性だったのかもしれぬと。
はは。
しかし、皇室の御妃というのは非常に影響力が大きいらしいです。
頼朝の義経への執拗な警戒は嫉妬に近いものがあるかもしれません。
後白河法皇はそれを知ってあえて義経を使って煽ったのかもしれません。
もしくは、ヤマトタケルの伝説にあやかって、義経を翻弄し、弄んだのかもとも妄想。
ヤマトタケルは白鳥になってどっかに飛んでいきますが、義経は北海道を経て大陸へ。
ま、とにかく、人が妄想する数だけ義経像があります。
歴史観も然り。
しかし司馬遼太郎は頼朝はしっかりとした政治家として現代でも通用するような人物として描いたような感じがします。
なぜなら、あまりに神話のようにされた義経伝説や平家物語により当時のリアリティーが失われないようにしたかったのではと思いました。
逆にリアリティーを失わせるために神話は創造されるのかなとも思いました。
大本営として。
いずれにしても司馬遼太郎は歴史小説家としてはあまりに文才があった。
幕末を神話にしてしまうほどに。