
日本人がロックを日本語でやるとか英語でやるとか、たまに話題になります。
どっちでもいいんです。
でも、元々英語でやってたバンドが、日本語でやってみた結果、なかなか違和感が付き纏って、悪戦するなんてのも、よくあります。
先日、このブログで村上春樹がスガシカオについてエッセイを書いているのを記事にしました。
村上春樹氏はスガシカオの「黄金の月」の歌詞について、かなり突っ込んだ評論というか、彼なりの感想を熱く書いておられます。
まず、冒頭の
「僕の情熱は今や 流したはずの涙より」
なんですが村上氏的には、
「僕の情熱はもう 零した涙より」
と、彼だったら、きっとこうしただろうと書いておられます。
その理由について、村上氏は、歌の情景、背景等、作家的な視点から、言葉の響きなど、様々な考察を交えて、スガシカオの音楽への敬意にも似たような、嫉妬?めいたものさえ、感じるほどでしたが。
どうでしょう。
でもね、多分、曲作ってて、鼻歌の延長線で歌詞書きながら、語尾の母音があ行の方がメロディーと相性が良いとか、なんか、そんな、感じやったんちゃいますかね。
もちろん、スガシカオ自身、言葉というコンテンツをかなり、本能的にチョイスできる才能というか、センスを持っておられるのです。
で、スガシカオ自身も村上氏のファンであるという、なんとも才能あふれる男同士の相思相愛ぶりというか、近親相姦的なようなものも、あったりして。はは。
前置きが長い。
さて、アジカンによるハスキンのカバー。
以前、ピロウズのトリビュート盤がリリースされたんですが、それには、ストレイテナー、エルレガーデン、バンプオブチキン、ミスチル、ピーズ、ヌードルス、などなど、そうそうたるメンツによるピロウズの名曲カバー集でした。
シンクロナイズド・ロッカーズ/オムニバス

んで、あれ??アジカンは呼ばれてないの??って素朴に感じたんですね。
だって、今や、シーンのど真ん中で活躍してて、ピロウズに対してアジカンも絶対リスペクトしてるはずって思うもん。
ね。
あまり、深読みはしませんが、なんか、アジカンにも、ピロウズのカバーして欲しかったんですね。
そこで今夜は、このアジカンによるハスキンの名曲を紹介したいんです。
このカバー聞くと、アジカンが「俺たち、ロックが好きで、いつか尊敬するバンドのトリビュート盤に参加したかったんだよ!」って、彼らのロック少年ぶりが、うかがえるんです。
どうでしょう??
このハスキンの名曲「欠けボタンの浜」は、ハスキンが英語から日本語の曲を書き出した過渡期の曲なんです。
凄い、成功したと思うんです、ハスキンは。
その理由はいくつか挙げられるかもしれませんが、まず、曲が当たり前に、良い。
そして、冒頭の話に戻りますが、イッソン自身も語ってましたが、日本語の語尾の母音の使い方が、うまいんです。
ハスキンと言えば、エアジャム世代と、括られますが、ライブハウスシーンで、イースタンユース、ブッチャーズのような、日本語で繊細かつエモーショナルな轟音バンドたちと、よく対バンしていました。
お互いに影響され合いながら、いつもいい作品をファンに届けてくれています。
アジカン世代はそういったシーンに影響されて、新たなシーンを開拓したと思います。
このカバー「欠けボタンの浜」
つながるんです。
アジカンも演奏しててほんと、楽しかったやろし、また、誠実に演奏してるのが伝わるし、ハスキンにとっても、嬉しかったやろな。
で、ファンの僕らも「いいよな~」って感じるんです。
月の色に、似てる。やうな。