
中上健次といえば芥川賞受賞作の『岬』。
被差別部落に生まれた自身の出生経験を通じて、それを小説に昇華しながら、生涯言葉と格闘したといえるのでは無いでしょうか。
作家という職業自体がそういう生業なのでしょう。
歴史が好きな人には、中上健次はたまりません。
関西で暮らしていると時折顔をのぞかせる同和問題。
学校でもちゃんと教えてくれませんでしたからね。
今回この『紀州』を読んでて似てるな、対かな、と思ったのは白洲正子の『近江山河抄』。
でも、中上健次の洞察の深さと、自らへの関係性への追求は、はっきり言って白洲正子を凌駕していました。
以前ツイッターでフォローさせてもらっていた某歴史作家の方が去年ニギハヤヒについての新著を出される際に頻繁に中上健次の紀州が良いと、絶賛されてました。
今回読んでみてホントによく解りました。
それは、中上健次自身が被差別者としての当事者であり、自ら自身が歴史としての証であるとの自覚によるもので、差別、被差別の構造について客観的な評論を許さず、常に自らに潜み、内在するアイデンティティとして、差別というテーマ、テーゼに、言葉をもって挑み続けたからであろうと思います。
また、この『紀州』が僕個人的にとって秀逸なのは、言わずもがな紀州が舞台であり、その地名、風景が関西在住の人間にとって身近であり、奈良や京都だけでなく、あらためて関西は歴史の舞台として宝庫やなと感じれたとこです。
その、舞台、紀州、熊野。
中上健次は「闇の国家」と称します。
神武東征依頼、敗れた者たちの隠る国。
僕個人的には、なんで歴史、特に古代史に強烈に関心を示しだしたのかと振り返れば、やはり、それが自分自身のルーツへの探求だったんじゃないかと思い当たります。
当然生まれ故郷への関心から始まり、自らの姓、両親の縁、現在の自分を取り巻く様々な事象に対しての関係性への追求。
結局は自分自身を掘り下げていく作業のひとつの要素として、歴史に自分を関連付ける、という自意識がはたらいたんだと思います。
自由闊達で健全な妄想は、自らの生を日本史を越えてアジア史にまで及ばし、果ては中央アジアか地中海か。
中上健次は、この『紀州』の最後で、紀州を車で移動しながらレゲエをかけ、しかもここが朝鮮であると仮定しながら旅をしたと記しています。
彼は、閉じ込められた歴史を開放する試みをしていたのでしょうか。
また、レゲエソングは黒人の青年(ボブ・マーリー)が歌っているからこそシンパシーを憶えるとも。
ひょっとしたら、中上健次は、どうしてもこの日本の風土、特に湿り気のある風土が、こうしたこの国の闇に光を与える時に重く陰湿な作用を及ぼすことに抗い、太平洋の向こうのレゲエソングに何かしら求めていたのかも知れません。
でもね、そんな日本の風土、景色が、どうしようもなく愛おしいんです。
其処に潜む凄惨な物語も含めて。
その土地に漂う地霊と会話するように。
其処へ漂流する自分との関係性を、求めて。
でも、其処からはじまる、風景に拒まれている感じる自分との対峙を見つめて。
今、『紀州』を読み終えた僕の目の前には、未だ見たこともない熊野の山と海が映り、山の沈黙と海の潮騒が同時に、在る。
中上健次と共に枯木灘を走り、紀伊大島を見つめ、吉野、高野を経て、天王寺に、在る。
中上健次は紀州の旅の締めに、伊丹から空へ飛ぶ。
そして紀伊半島上空から紀州を眺める。
僕は、今、中上健次の見下ろした景色を、グーグルマップて追いかける。
八咫烏は君を誘う