安吾さん、あなたの彗眼は大したもんです。 | 空堀ホイホイ

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という訳で、今日は久々に近所の四天王寺さんに行ってきました。
 
俺の中では、聖徳太子=蘇我入鹿という想定になっていて、

自由奔放な妄想が出来ました。

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たまたま特別展示やってたのでラッキーでした。

思わず写真撮りたくなる衝動を抑えるのに必死でした。

かなりレアな展示品が陳列されてましたよ。

中でもこちら

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40  聖徳太子勝鬘経講讃像  一幅
斑鳩寺蔵
絹本著色
鎌倉時代(十三世紀)
◎Prince Shotoku Lecturing on Shomangyo
Kamakur period,13th century
Hanging scroll,color on silk
Ikaruga-dera

『聖徳太子伝暦』太子三十五歳条の、『勝鬘経』を講讃する姿という。
 本品は横長の大画面に太子と聴衆五臣が無理なくゆったり配される。太子の右手は前机の経巻を開くように表紙に添えられ、太子の側らには山背大兄王が控え、それに沿うように高句麗僧恵慈が、少し離れて学哥(覚哥)が並ぶ。それらに対して蘇我馬子・小野妹子が配され、馬子は額づき、妹子は太子を見上げている。



この絵の聖徳太子を蘇我入鹿に置き換えて、思っきり妄想してました。

仏教伝来って、宗教や思想と共に、絵画、彫刻、書跡、工芸、学問等、ホントに沢山の文化が大陸からやって来て、日本にとって大転換期であったんだと、かなりリアルに感じれました。

今やあって当たり前のモノばかりですが、蘇我氏は革新派であり、よって物部氏と対立はしたが、時を経て、この国の中で、様々な文化が昇華され、今に至ると。

凄い、功績です。

まあ、歴史の詳細は様々な解釈や諸説が入り交じってますが、近所にこんな1400年も歴史のある四天王寺さんがある町に住んでるのが、今更ながら、誇らしく、それだけで細かい話はぶっとびます。

当時、上町台地から西へ、瀬戸内海を経て、隋や百済、高句麗、新羅を目指したり、はたまた客人を迎え入れたり。

難波は国際貿易都市だったのです。



四天王寺さんの帰り道、チャリんここぎながら、坂口安吾の「飛鳥の幻」に対して、自分なりに返答していた。

安吾さん、あなたの彗眼は大したもんです。

あなたの言うとおり、蘇我蝦夷、馬子、入鹿は、この国の、大王だったんですよ。



アマテラス誕生―日本古代史の全貌/林 順治


この本、読み直そ。