
あかねさす
琵琶の水面に映る色
染めゆく朱は
晩秋を誘う
先日日にちを間違えた白洲正子展に行ってまいりました。
朝イチの電車で行こうと思っていたのだが、ウダウダしているうちに10時過ぎの出発になり、慌しく、瀬田の近代美術館→近江八幡→八幡山→長安寺→沖島を駆け足で廻ってきました。
よー歩いたわ。
再び訪れた滋賀近代美術館にて、初めて十一面観音を見た。
観音様の艶やかさに魅せられました。
腰元から背面の曲線が美しい。
おおらかな性を感じました。
展示場は白洲正子の著書を読んだことのある方にはより深く日本の歴史、伝統に感銘を受けれるように展示品の他に、映像コーナーも幾つか設けられていました。
かくれ里/白洲 正子

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先日購入したこの「かくれ里」(愛蔵版)を行きの電車の中で熟読していたので、まさに白洲正子ワールドにどっぷり浸る事が出来ました。
展示品で目を引いたのは、役行者像だ。
あまり詳しいことは知らないが、コレを機会に調べてみたい。
以前高野山に行ったときに空海に感じたものとはまた違ったものを感じた。
それから、日が暮れないうちにどうしても沖島辺りを散策したかったので足早に瀬田の駅へ。
「旅の醍醐味は行き当たりばったり」という白洲正子の言葉に習い、近江八幡の駅から、沖島まで歩いてやろうと無謀な行動をとってしまった。
地図も持たずに。
駅から八幡山が綺麗に見えていたので、歩き出したはイイが、なかなか山が近づかない。
そりゃそうだ。距離にして5,6㌔はあったな。
日は傾き始め、俺は焦りながら前のめりに歩き続けた。
やっとのことで八幡山の麓まで来ると、そこから西へ迂回しながら琵琶湖を目指すが、これまた途方も無いような田舎道であった。
近江山河抄 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)/白洲 正子

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既に俺のバイブルと化した近江山河妙の「沖つ島山」の章によると、この辺りが白洲正子が最も愛した近江の景色と記されている。
ここは西国巡礼地の中でも観音浄土を思わせる景色だと書かれているだけに、何としてもその景色を味わいたい。
しかし、どうやらおれの無謀な選択が道を少し外れたようで。
俺が期待していたのは、八幡山を迂回すると直ぐに眼前に琵琶湖が映り、その先に沖島が神々しく浮かんでいる景色だった。
ところが、行けども行けども一直線の映画スタンド・バイ・ミーみたいな田舎道がずーっと続いているだけではないか。
「旅の醍醐味は行き当たりばったり」
おれは白洲正子に騙されたのか、否、おれが単純すぎたのだ。
地図も持たず。
持参したのは白洲正子の本だけ。
歩きながら本を読み返すが、目の前の景色はイメージと違う。
それどころか、本を読み返すと、八幡山を東に迂回して沖島に抜けると、と書かれているではないか。
読み間違っていた!!
アホだ。
しかしここまで来たからにはタダでは帰れぬ。
俺は太陽の位置を確認しながら一本道の果てに極楽浄土があることを念じながら更に歩き続けた。
道の左右は果てしなく田んぼが広がり、遠くでトラクターが作業をしている。
北から東に架けて綺麗な奥島山が連なり、色づきはじめている。
車は通らない。
「昔の人は凄いなー」とかブツブツ呟きながらひたすら歩いた。
するとやがて橋が見えた。
つまり川だ。
俺は夢中で走った。
そして小走りに橋を渡ると同時に、西日を浴びながら眼前に極楽浄土を、遂に見た。
黄金色の琵琶湖を見た。
そこはまさに極楽浄土であった。
そのまま湖畔の道づたいに長命寺を目指した。
素晴らしい景観であった。
疲れた足を休めることも忘れ、悠久の歴史に想いを馳せた。
冒頭の写真と歌は、その時のものである。
また必ず此処を訪れよう。
何故ならば、日没を鑑みると、とてもじゃないが沖嶌までは近づけ無かったのである。はは。
帰りは長安寺前のバス停から文明の利器で駅まで。
俺の近江路はまだまだ続く。。
次は東廻りにな。