ウッカリ難しい話を書いてしまいました。
今日は言語に関するお勉強の時間です。
受験科目に国語がある人、そういうお子さんを持つ人は、読んで理解しておくと必ずいいです。
……。
100年前と現在の日本語は、全く違う。
下手すると文法すら違ってくる。
現在と100年後の日本語も、必ず全く違ってくる。
「正しい日本語」??
あえて断言しよう。
そんなの、ないから!!
あるとすればあくまで、「現在の日本語として正しいとされる言葉」だけだ!
……分かりやすい例で例えよう。
「ありがとうございます」。
……元々は、「有り難し」。
「めったいないこと」という意味。
そこから、「めったにないこと」⇒「感謝すること」という意味が派生した。
……言語は、生き物である。
もう一度言うが、現在の日本語と100年後の日本語は、全然違う。
……書籍、テレビ、インターネット等の発達により、昔ほど言語の変化するスピードは早くなくなると予測されるが。
それでもなお、どんどん変化していくことは間違いない。
……話を戻して。
「有り難し」⇒「めったにないこと」⇒「感謝の意」
が元来の意味。
なので、「毎度ありがとうございます」は、「毎回めったにないことです」となる。
……語源を辿ると、「バカにしてんのか!?」って話になる。笑
……言葉の意味は、常に変わり続ける。
「正しい日本語」などと言う人は多いが、実はその定義自体が間違いなんだ。
正しくは、「現在において正しいとされている日本語」。
……現在の日本語だって、誤用から始まった言葉なんていくらでもある。
……誤用を例えば一つ挙げると、「とんでもありません」。
これは、「とんでもない」という一語の形容詞を「とんでも ない」と否定形に誤って解釈してる人の誤用とされる。
現在間違った日本語とされてるが、今後使う人が多くなれば正しい日本語となるのだ。
……このように、新しい言語が使われ出した時は、きっと「間違った日本語」とされていただろう。
けれど、多くの人が使えば、それは正しい言葉として残るのだ。
……言語学は科学と同じで、事象を観察することにより正確に把握することが肝要なのだ。
……光の速さは秒速299792458メートル。
それは、「299792458メートル進むべき」とか「299792458メートル進むのが正しい」とかではなく、あるがままの現象を正確に観測することが前提なのだ。
言語学も同じことで、事象を観測した結果を客観的に示すことが肝要なのだ。
「〜〜と言うべき」という言葉は、「光は秒速○○メートルであるべき」と言うのと同じことなのだ。
言語は生き物である。
常に変わり続ける。
「毎度ありがとうございます」が、「間違った日本語」であるとは言えない。
皆が使っていれば、それが正しい言葉となるのだ。
……昔の言葉が正しい日本語なら、平安時代とかの古文とか、もっと前の日本書紀が正しい日本語になっちゃう。
……老人は、変化を嫌う。
それもそうだ。
10年やそこら馴染んできたものと、70年80年馴染んできたものとでは、捨てにくさは同じなわけがない。
なので老人は、自分の使っていた言語に固執する。
駄菓子菓子。
繰り返すが、言語は生き物である。
変わったならば、その変化が正しいのだ。
……ええーいここまでいったら、もう一つだけウンチク(実は教養)を付け足して、終わりにしたい。
……。
人間万事塞翁が馬。
中国の故事に基づく。
要は何がラッキーになって、何がアンラッキーになるのか、それは後になってみないと分からないということ。
今ポピュラーなのは読み方は、「にんげんばんじさいおうがうま」。
……けどこれ、考えれば少しだけおかしくない??
何で「人間」自体が「何がラッキーになって何がアンラッキー」なのさ??笑
……。
正しくは、もとい、元来は、「じんかんばんじさいおうがうま」。
「人間」は、「じんかん」と読むんだね。
「じんかん」と読む場合、その意味は「世間」となる。
「世の中の様々な事象は、何がプラスで何がマイナスになるのか、後になってみないとわからない」という意味が元々なんですね。
なので、オリジナルを言うと、「じんかんばんじさいおうがうま」なのだ。
けれども、「人間」は「にんげん」としか、読まない人の方が多い。
なので、「にんげんばんじさいおうがうま」でも、現在は正しいわけなんだね。
……元々の読み方が「じんかん」だとしても、「にんげん」が多数派になれば、それが正しい読み方になるのだ。
……堅苦しい話になったので、分かりやすい例を持ってきて終わりにしよう。
「ガオチョワー」の意味が分かる人は、俺とブログメルマガ読者くらい。
広東語のつもりだったが、どうやら広東語とも少し違うらしい。笑
……全部合わせても千人くらいか。
……もしこれを、全ての人が使ってくれたら。
全ての人が100人くらいに伝播させてくれたら。
ガオチョワー使用者数は10万人になる。
……それでも日本の人口の0.1%以下だが。
……それでも、確実にそれ以上増えるならば。
元々は広東語から来て、その意味合いに多少の間違いがあったにせよ。
「ガオチョワー」は、マイナーだけど正しい日本語として辞書に載ることになる。
「そんな、今から新しい日本語なんてできるわけなくない!?」と思ったそこのあなた。
本日本当にラストのウンチクを語って、この価値あるけど多くの人の支持を得ない今日のブログメルマガを閉じたい。
……。
「ガッツポーズ」。
これは、今正しい日本語でOKだよね??
……これ、元はガッツ石松さんが1974年に世界タイトルを取った時のポーズが由来とされてるのだ。
その前にはガッツポーズという言葉はなかったから!!
……と、さらに念のためネットで見てみたら。
1972年にボウリング雑誌「週間ガッツボウル」で両手を上げる仕草を「ガッツポーズと命名した」との情報も!!
……真偽のほどは、定かではない。
週刊ガッツボウルが先だとしても、同じ言葉を全国に広めたのはやはりガッツ石松さんだろう。
今となっては語源が分からないとか諸説あるものなんてのも、めちゃくちゃ沢山ある。
いずれにせよ、「ガッツポーズ」と言う和製英語(アメリカ人には通じない)は、その前にはなかったのだ。
言語は、作られる。
そして時代と共にドンドン変わる。
そしてそれこそが、言語の本質なのだ。
ここまで読んで理解したあなたは、間違いなく言語論において平均的日本人を超えてます。
自己満足でいいのだ。それもまた本質なのだ。
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