こないだ話してて、受け答えがしっかりしてて、込み入った話をしても的確に理解し、逆に具体的な質問をしてくる人がいた。
状況を俯瞰して把握し、客観視しつつ対策を提案し、それらを全て自分の言葉で表現してた。
「……あのさ、学生時代に国語得意じゃなかった?」
「……河合塾の模試で満点取ったことがあるけど、何で?」
……やっぱり。
……。
英語ができなくとも、数学ができなくとも、社会ができなくとも理科ができなくとも、何か機会でもない限り普通分からない。
けれど国語力のあるなしは、普通にやり取りしてて時々分かる。特にメールやメッセージ。
特に話が少し込み入ったりしてきた場合。
英語が話せなくとも、数学ができなくとも、社会ができなくとも理科ができなくとも、それほど恥ずかしいことだとは俺は思わない。
けれど国語力が他人に分かるくらい低いのは、日本人として恥ずかしいと俺は思う。
……。
仮に英語で日常生活の殆どが問題なく話せるようになったとしても、やっぱり自分の思想や哲学を深くまでは追求できないじゃんか。
哲学をphilosophyと英語で言い換えられたところで、肝心のその中身を掘り下げられなきゃ何も意味ないじゃんか。
……特に大人になってから、「あなた国語苦手だったでしょ?」と聞かれることはまずない。
聞く人が滅多にいないから。
というわけで、学生ならまずは国語をしっかり勉強しよう。
知識の深さは、人生の深さだ。
大人が口を揃えて「もっと勉強しておけば良かった」と言うのには、理由があるのだ。
……。
「お前は中身大人になってねーだろ!」とか、「誤字脱字メッチャいっぱいあるくせに!!」などと言うツッコミがくる前に、おやすみなさい。 ぐーぐー
よろしくお願いします。
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