「結果は残念でしたけど、とてもいい試合でしたよ。胸が熱くなりました!」


……。


ありがとうございます。


……。

……以前に言ったことで、割と覚えててくれてることが多い内容。


「敗けたボクサーに言ってはならないこと」。


覚えてますか?


答は。


「ナイスファイト」。


……自分に関して言うと、ホントに別にいいんだ。


そういうものだって分かってるから。

悪気がないのも、励ましだということも分かってるから。


……さすがはワタクシですね、などということは全然思ってないしどうでもいい。

……決してどうでもいいんだからな!


……で。

ナイスファイト。



……気付いた。


……つまりは、そもそも目的が違うんだよね。

やる側と見る側の。

そこに違和感が生じるんだ。


つまり。

ボクサーは、自分が勝つためにやるわけさ。

それだけ。

先日言った「マズローの五段階欲求の、下からしか埋まらないとされている生存や安全の確保を全てすっ飛ばしてでも満たすと決意している、自己実現の欲求」。

すなわち、勝利。

ただそれだけ。

それを満たすためだけに、全てを犠牲にしてでも闘う。

腹が減ろうが危険だろうが就職できなかろうが認めてくれない人がいようが、関係ない。

自己実現=なりたい自分になるために、ボクサーは闘う。

まれに違う人もいるけど、大多数のボクサーにとって、敗けた試合なんて、最悪の試合だ。


……が、しかし、応援に来る人は。

やはり胸を熱くさせる「いい試合」が見たい。

それをあなたは見事に見せましたよ、というのは、最大限の賛辞なのだ。

あなたは私を満足させた、つまりあなたはいい仕事をした、素晴らしかったですよと。

その試合が良かったら、それは最高の試合だ。


……言われたボクサーは、「???」なのが伝わるだろうか。

「は?何言ってるんだ?俺は全てを失ったのに??素晴らしいってどういうことなんだ??」となるわけだ。

そう思われた方も「??」となる。

「いや、プロとして見せるもので、素晴らしいものでしたと言ってるのに??」となる。


……伝わるかな、これ。


……お互い知っとけばいいんだと思う。


やる側は、「『見に来る人』は、その人を熱くさせる試合を望んでいる=その人にとって面白いかどうかが大事なのだ」ということ。

見る側は、「『やる人』は、面白い試合を見せようなんて考えちゃいない。勝つこと。それだけが大事なのだ」ということ。


それでも基本的に見に来る人がお客さんで、そのお客さんがプロの興行を支えてくれてることを、ボクサーはやはり忘れてはならない。


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最後までトランクススポンサーを引き受けて下さった「水戸大家さん」こと峯島忠昭社長と。
……ここの火鍋は、ビックリするほど美味かった!
ご馳走様でした。



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