なぜかは知らないが俺はよく、心の悩みを持った人から相談を受ける。
大抵の人が言うことは同じだ。
誰がどうだから、誰がこんなこと言うから、決まってこうだから、自分の環境はこんな風に恵まれてないから・・・。
・・ただ、この大概の人は、まだいいのかもしれない。
とにかく自分がダメだから、悪いのは自分だから、自分だけが落ちこぼれだから・・・。
全てを悲観的に自分のせいだと思い込む。
これは、典型的なうつ病のパターンだ。ひたすら自分の殻に入り込む。
だからか、このタイプの人は俺に打ち明けてこない。
自己否定なんて俺が理解できるわけがないのも、原因かもしれないけど。
・・で、その大方の方の人に、俺が決まって勧める本がある。
スティーブン・コヴィー博士「七つの習慣」。
読んだことのある人も多いだろうけど。
もしまだの人がいたら、・・そして一度や二度読んだ人も、第一部「インサイド・アウト」と第二部第一の習慣「主体性を発揮する」だけでも目を通して理解することを、強烈にお勧めする。
特に何がしかの悩みを抱える人。
・・・・。
大抵の人は、問題や悩みや悪いことを、周りの人や環境のせいにする。
あの人がこうだから、組織がこうだから、自分はこういう環境だから……。
「過去と他人は変えられない。」なんてよく言うけど。
〈問題が自分の外側にあると考えているなら、その考えこそが問題〉なんだね。
問題は、常に自分の中にある。
……自分の外側にある問題、自分が影響を及ぼせない問題は、受け入れるしかない。
・・・この本はだいぶ前から読んでるので、自分の解釈が多分に含まれるけど。
例えば、大抵の人は死ぬのが嫌だが、それは避けられない問題だ。
受け入れるしかない。
死を怖れ逃げ惑って、人生終わらすのはあまりにもったいない。
例えば、自分の嫁がどうたら、旦那がどうたら、家族がどうたら。
会社の上司がどうたら、同僚がどうたら、友達がどうたら。
……自分以外の人は、変わらない。
特に、自分の都合のいいようには変えられない。
そんなことに執着し、時間と労力を無駄にするのはやめにしよう。
人生にはもっと楽しいことや大切なことがたくさんある。
「責任」は、英語で「responsibility」という。
respons 反応 、ability 能力 。
「反応する能力」こそが、「責任」なのだ。
どう反応するか。
それが全てとは言わないが、実に、実に大きい。
例えば雨が降ったら、傘をさせばいい。
もしくは雨が降ったら、やむのを待てばいい。
雨が降ったからと言って、イチイチ腹を立てたりとても悲しんだりするのは、自分次第なのだ。
それに対する反応を、我々は選ぶことができる。
雨が降ったらイチイチ悪い方向に反応してたら、自分の人生は自分以外のものでコントロールされる。
自分の人生を自分でコントロールすることこそが、主体性なのだ。
・・・けど、実際、全部が全部、そうにはなり得ないよな・・・・。
楽しみにしてた遠足が雨だったらやっぱり残念な気持になるし、自分の期待や希望がその通り
でなければ、それはやっぱり嫌な気持にどうしてもなるよな・・・。
中南米、そしてその後に回ったアフリカ。
何もない中で、人々は実に楽しそうに生きていた。
精神病や自殺率も、先進国に比べたら実際によっぽど低いそうだ。
先進国の中でも、日本は年間約三万人もの人が、自らその命を絶っている。
・・・遺書のないものは「変死」となるそうで、実際にはその数倍の人数にも上るんじゃないかとも言われている。
これは、先進国の中でもかなり高い確率である。
「五体不満足」を著した乙武洋匡(おとたけひろただ)。
「障害は、不便ではあるが不幸ではない」と言い切り、喝采を浴びた。
俺を含め多くの人は、彼ほどの障害を持って生まれてきたらなんてアンラッキーなんだ、
自分はなんて不幸せなんだと嘆くに違いない。
けれど彼は、自分の反応を自分で選択した。
条件付けによって彼の幸せが決められることはなかった。
そのことを、たぶん多くの人が頭では分かっているんだ。
だから、喝采を浴びせたんだ。
我々は、外からのもの、どうしようもないものに対する反応を選択することができる。
その能力こそが、責任なのだ。
問題の根本的解決は、外から内ではなく、常に内から外へ(インサイド・アウト)なのだ。
嫌なヤツがいる。
そいつがいるから悪いんじゃない。
悪い気分になったのは、自分だ。
そいつに対する自分の反応の仕方は、選ぶことができる。
そしてそれこそが主体性の正体である。
そいつのせいじゃない、それに反応的になる自分のせいなのだ。
・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
俺の夢だった長期の旅をしているバックパッカーが言った、「酒でも飲まなきゃやってられませんよ」。
夢のような南の島で暮らしながら、自らの命を絶った女性。
重度の障害を負ってこの世に生まれながら、「障害による不便は不幸ではない」と言い切った乙武洋匡。
「我々は、自分の周りの人や環境に対する反応を選択することができる」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!
ロライマの山中で一人用テントに寝ながら物思いに耽る俺の脳内に、ビッグバンが起こった。
薄暗く、もやもやと霧のかかった場所に、突如もの凄い光が輝いた。
・・・・そうか!そういうことか!
そういうことだったんだ!!
・・自分を含め多くの人は、自分の幸せや不幸せを、周りの環境のせいにする。
誰がどうだから、周りの環境がどうだから・・。
今こそ分かった。
絶対に、違う。
関係ないんだ!
一時的には関係あるかもしれない、けどそれは根本的には関係ないんだ!!
どんなに恵まれた環境でも、不幸せな人は不幸せだ。
恵まれてなくとも、幸せな人は幸せなんだ。
一人でも幸せ、二人ならもっと幸せ。
「幸せは、自分の心が決める」。
そんな言葉があるけれど。
本当に、そうなんだ。
100%と言っていい、最終的に決めるのは、自分なんだ。
全ては、周りのせいじゃない。
自分の心の内にあるんだ。
幸せは、自分の心が決める。
その言葉は、こういう意味だったんだ。
ロライマ山頂。
俺だけ、一人ぼっち。
俺だけ一人テント。
しかしこのことを自分で実感して、脳内で何かが爆発した。
心の底から幸せな瞬間だった。
・・・気が付けば三時間もの時間が、経過していた・・・・・。
↓世界一周ジャンルにいるのは、残すところあと数日です・・。
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・・・ちなみにこの数時間後、伝説の「ビニール袋前後持ち野グソ」をしてたことは、誰も触れてはいけない・・。
大抵の人が言うことは同じだ。
誰がどうだから、誰がこんなこと言うから、決まってこうだから、自分の環境はこんな風に恵まれてないから・・・。
・・ただ、この大概の人は、まだいいのかもしれない。
とにかく自分がダメだから、悪いのは自分だから、自分だけが落ちこぼれだから・・・。
全てを悲観的に自分のせいだと思い込む。
これは、典型的なうつ病のパターンだ。ひたすら自分の殻に入り込む。
だからか、このタイプの人は俺に打ち明けてこない。
自己否定なんて俺が理解できるわけがないのも、原因かもしれないけど。
・・で、その大方の方の人に、俺が決まって勧める本がある。
スティーブン・コヴィー博士「七つの習慣」。
読んだことのある人も多いだろうけど。
もしまだの人がいたら、・・そして一度や二度読んだ人も、第一部「インサイド・アウト」と第二部第一の習慣「主体性を発揮する」だけでも目を通して理解することを、強烈にお勧めする。
特に何がしかの悩みを抱える人。
・・・・。
大抵の人は、問題や悩みや悪いことを、周りの人や環境のせいにする。
あの人がこうだから、組織がこうだから、自分はこういう環境だから……。
「過去と他人は変えられない。」なんてよく言うけど。
〈問題が自分の外側にあると考えているなら、その考えこそが問題〉なんだね。
問題は、常に自分の中にある。
……自分の外側にある問題、自分が影響を及ぼせない問題は、受け入れるしかない。
・・・この本はだいぶ前から読んでるので、自分の解釈が多分に含まれるけど。
例えば、大抵の人は死ぬのが嫌だが、それは避けられない問題だ。
受け入れるしかない。
死を怖れ逃げ惑って、人生終わらすのはあまりにもったいない。
例えば、自分の嫁がどうたら、旦那がどうたら、家族がどうたら。
会社の上司がどうたら、同僚がどうたら、友達がどうたら。
……自分以外の人は、変わらない。
特に、自分の都合のいいようには変えられない。
そんなことに執着し、時間と労力を無駄にするのはやめにしよう。
人生にはもっと楽しいことや大切なことがたくさんある。
「責任」は、英語で「responsibility」という。
respons 反応 、ability 能力 。
「反応する能力」こそが、「責任」なのだ。
どう反応するか。
それが全てとは言わないが、実に、実に大きい。
例えば雨が降ったら、傘をさせばいい。
もしくは雨が降ったら、やむのを待てばいい。
雨が降ったからと言って、イチイチ腹を立てたりとても悲しんだりするのは、自分次第なのだ。
それに対する反応を、我々は選ぶことができる。
雨が降ったらイチイチ悪い方向に反応してたら、自分の人生は自分以外のものでコントロールされる。
自分の人生を自分でコントロールすることこそが、主体性なのだ。
・・・けど、実際、全部が全部、そうにはなり得ないよな・・・・。
楽しみにしてた遠足が雨だったらやっぱり残念な気持になるし、自分の期待や希望がその通り
でなければ、それはやっぱり嫌な気持にどうしてもなるよな・・・。
中南米、そしてその後に回ったアフリカ。
何もない中で、人々は実に楽しそうに生きていた。
精神病や自殺率も、先進国に比べたら実際によっぽど低いそうだ。
先進国の中でも、日本は年間約三万人もの人が、自らその命を絶っている。
・・・遺書のないものは「変死」となるそうで、実際にはその数倍の人数にも上るんじゃないかとも言われている。
これは、先進国の中でもかなり高い確率である。
「五体不満足」を著した乙武洋匡(おとたけひろただ)。
「障害は、不便ではあるが不幸ではない」と言い切り、喝采を浴びた。
俺を含め多くの人は、彼ほどの障害を持って生まれてきたらなんてアンラッキーなんだ、
自分はなんて不幸せなんだと嘆くに違いない。
けれど彼は、自分の反応を自分で選択した。
条件付けによって彼の幸せが決められることはなかった。
そのことを、たぶん多くの人が頭では分かっているんだ。
だから、喝采を浴びせたんだ。
我々は、外からのもの、どうしようもないものに対する反応を選択することができる。
その能力こそが、責任なのだ。
問題の根本的解決は、外から内ではなく、常に内から外へ(インサイド・アウト)なのだ。
嫌なヤツがいる。
そいつがいるから悪いんじゃない。
悪い気分になったのは、自分だ。
そいつに対する自分の反応の仕方は、選ぶことができる。
そしてそれこそが主体性の正体である。
そいつのせいじゃない、それに反応的になる自分のせいなのだ。
・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
俺の夢だった長期の旅をしているバックパッカーが言った、「酒でも飲まなきゃやってられませんよ」。
夢のような南の島で暮らしながら、自らの命を絶った女性。
重度の障害を負ってこの世に生まれながら、「障害による不便は不幸ではない」と言い切った乙武洋匡。
「我々は、自分の周りの人や環境に対する反応を選択することができる」。
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!
ロライマの山中で一人用テントに寝ながら物思いに耽る俺の脳内に、ビッグバンが起こった。
薄暗く、もやもやと霧のかかった場所に、突如もの凄い光が輝いた。
・・・・そうか!そういうことか!
そういうことだったんだ!!
・・自分を含め多くの人は、自分の幸せや不幸せを、周りの環境のせいにする。
誰がどうだから、周りの環境がどうだから・・。
今こそ分かった。
絶対に、違う。
関係ないんだ!
一時的には関係あるかもしれない、けどそれは根本的には関係ないんだ!!
どんなに恵まれた環境でも、不幸せな人は不幸せだ。
恵まれてなくとも、幸せな人は幸せなんだ。
一人でも幸せ、二人ならもっと幸せ。
「幸せは、自分の心が決める」。
そんな言葉があるけれど。
本当に、そうなんだ。
100%と言っていい、最終的に決めるのは、自分なんだ。
全ては、周りのせいじゃない。
自分の心の内にあるんだ。
幸せは、自分の心が決める。
その言葉は、こういう意味だったんだ。
ロライマ山頂。
俺だけ、一人ぼっち。
俺だけ一人テント。
しかしこのことを自分で実感して、脳内で何かが爆発した。
心の底から幸せな瞬間だった。
・・・気が付けば三時間もの時間が、経過していた・・・・・。
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・・・ちなみにこの数時間後、伝説の「ビニール袋前後持ち野グソ」をしてたことは、誰も触れてはいけない・・。