これは俺の文体そのものに関係する大きな特徴であるが。
公開しちゃおう。
そもそも俺は、誰に向けて文章を発信しているのか。
誰に向かって語りかけているのか。
言おうか。
俺にとって、すごく近しい人。
距離的には遠くてもいい、俺を理解してくれる人。
イコール俺にとってとても大事な人。
別に特定の誰という人が普段いるわけじゃないけど。
そういうイメージで話をしている。
自分が本音語る時に、敬語で話すか?
普通話さないよな。
逆に聞こう。
敬語で話さなきゃならない相手に、自分の本音が語れるか?
俺は語れないなあんまり。
なるべくありのままの自分で。
なるべくありのままの姿を。
ありのままの言葉で。
それがみっともない時もあるだろう。
それでもいい。
それで他人に迷惑をかけることになってしまう時もある。
それに気付いたら削除したり修正したりする。
他人に迷惑だけかけないようには気をつけながら。
あとはなるべくそのまま自分の感じること思うことを書いてる。
だから、反感をかう時もある。
だから、共感を得る時もある。
だから、失敗することも、ある。
俺は不完全な人間なので。
無難なことだけ書いてれば損はしない。
でもそれじゃつまらない。
つまらないどころじゃない。
意味がない。
敬語使えば、どこかよそ行きの自分になっちゃうからね。
だから一人称は普段通り、「俺」なのだ。
だから、丁寧語すら使わずに書いているのだ。
だから、知らない人や目上の人へのコメントでは丁寧語なのだ。
それは文章ではなく個人との会話だからね。
自分にとって近しい人に向かって書くつもりで文章を綴ること。
それが俺のブログ作法の一つである。
ちなみに丁寧語使わない理由はもう一つあって。
そもそも文章というものは丁寧語ではないということ。
新聞記事や評論文が、ですますで書かれているかと。
・・・しかししかし実のところは、ただ単に楽だからだったりする、なんてことはないぞ・・・。
公開しちゃおう。
そもそも俺は、誰に向けて文章を発信しているのか。
誰に向かって語りかけているのか。
言おうか。
俺にとって、すごく近しい人。
距離的には遠くてもいい、俺を理解してくれる人。
イコール俺にとってとても大事な人。
別に特定の誰という人が普段いるわけじゃないけど。
そういうイメージで話をしている。
自分が本音語る時に、敬語で話すか?
普通話さないよな。
逆に聞こう。
敬語で話さなきゃならない相手に、自分の本音が語れるか?
俺は語れないなあんまり。
なるべくありのままの自分で。
なるべくありのままの姿を。
ありのままの言葉で。
それがみっともない時もあるだろう。
それでもいい。
それで他人に迷惑をかけることになってしまう時もある。
それに気付いたら削除したり修正したりする。
他人に迷惑だけかけないようには気をつけながら。
あとはなるべくそのまま自分の感じること思うことを書いてる。
だから、反感をかう時もある。
だから、共感を得る時もある。
だから、失敗することも、ある。
俺は不完全な人間なので。
無難なことだけ書いてれば損はしない。
でもそれじゃつまらない。
つまらないどころじゃない。
意味がない。
敬語使えば、どこかよそ行きの自分になっちゃうからね。
だから一人称は普段通り、「俺」なのだ。
だから、丁寧語すら使わずに書いているのだ。
だから、知らない人や目上の人へのコメントでは丁寧語なのだ。
それは文章ではなく個人との会話だからね。
自分にとって近しい人に向かって書くつもりで文章を綴ること。
それが俺のブログ作法の一つである。
ちなみに丁寧語使わない理由はもう一つあって。
そもそも文章というものは丁寧語ではないということ。
新聞記事や評論文が、ですますで書かれているかと。
・・・しかししかし実のところは、ただ単に楽だからだったりする、なんてことはないぞ・・・。