昨日の続き。

んで、女子レスリングの伊調馨選手。

三大会連続でオリンピック金メダルの偉業。

その試合後のコメント。

「自分のレスリングができなかったのが不満」

タックルできたのはいいけど、と。


自分のレスリング?

俺とは違う。

俺の唯一絶対目的は、勝利だ。

自分のボクシングなんて、そのためにはどうでもいい。

自分のボクシングだろうが他人のボクシングだろうが、
自分が勝つことがボクシングにおける俺の全て。


・・・・でも、同じ感想を、ボクシングでもよく聞く。

俺が練習生の頃、同じジムに世界チャンピオンのユーリ・アルバチャコフ
さんがいたが。

「いつも通り自分のボクシングすれば問題ない」と。


結果を実際に出している人間の言葉には、傾聴の価値がある。


「自分のやり方それだけで勝てるんだったら苦労はしねーよ!
 それだけでは勝てないから創意工夫の必要があるんだよ!」

ってのが俺の基本的な感想だけど。

で、目的や目標を、勝利それだけに焦点を合わせる。

そのためだったらどんな風にでも自分のボクシングを変える。

変幻自在といえば聞こえはいいが、これという柱を持たないわけでもある。


ただ。

そこも疑おう。

疑うことが、思考の始まりであり、思考の始まりが、試行錯誤の始まり
でもある。

従来の通説を全て鵜呑みにしていては、何も始まらない。


中国武術からだったと思うが。

守・破・離、という言葉がある。

最初は、師匠の教えや基本を「守る」。

それが最初は一番早い上達法だ。

次に、その教えを、破る。

従来あるものに自分のいいものを取り入れ、従来だけの形を破る。

次に、最後には、独自のものに作り上げる。

「離れる」わけだ。

最初に教えを守る、次にそれを破る、最後に独自のものにして離れる。

そうやって自分のものにしていく。


話がまた逸れたけど、それと同じ。

通説のみだと、守・破・離のうち、「守」しかできていない。

破って、離れて、完成を見るんだ。


で、さらに話を戻して。

自分のボクシングを、あらためて疑う。

オリンピック三連覇した人間や、歴代世界タイトル防衛記録ベスト3
に入る人がやってること。

自分のスタイルを守る。

それってのは、もしかしたら、勝利に直結したことなのかもしれない。

自分のスタイルにこだわるんじゃなくて、勝利を優先する。

そうじゃなくて、自分のスタイルにこだわるからこそ、勝利を引き寄せる
ことができる。

そうなのかもしれないなと。


この辺りで、昨日の坂本龍馬の話が出てくる。

自分が本当に納得できたことならば、それまでの基本や日常に固執はしない。


自分のスタイル?

自分の基本?


あるにはあるが。

基本的に、勝利のためならいくらでも変えられるし、そうあるべきだと思ってる。


が、違うかもしれない。



・・・この問題は底が深いので、今日すぐには結論は出ないし、
これからも出ないかもしれない。

ただ一つ間違いないことは。

引退するその日まで、俺は探求をやめない。