必要のない「再調査」で北朝鮮はおそらく数人から10人程度の被害者を出してくるであろう。だが北朝鮮、そのほとんどを日本に帰国させようとはしないであろう。出てきた被害者たちは「将軍さまの庇護の下で幸せに暮らしています。お父さん、お母さん、平壌に会いにてください」と言わされるにちがいない。いわゆる寺越方式である。拉致被害者は表に出された瞬間から人質となる。この方式を考えたのは、北朝鮮と社会党(現・社民党)である。そして引き継いだのが森元首相。引継ぎ損なって5人の拉致被害者とご家族を結果として救出したのが小泉元首相である。寺越一家拉致事件の唯一の生き残りである寺越武志さんの母親友枝さんは「息子よ、帰ってきて」と叫んでいる。寺越方式、哀しい造語である。

北朝鮮・拉致問題:息子よ、帰ってきて!! 北朝鮮在住・寺越さんの母親悲痛 /石川

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◇再帰国実現せず
 どうすれば息子が帰ってくるのか--。77歳の母の言葉が悲痛に響いた。46年前、能登半島沖で出漁中にこつぜんと姿を消し、現在は北朝鮮の平壌で暮らす寺越武志さん(59)の母友枝さん(金沢市)が、24日に同市内であった市民との懇談会に出席。日朝関係が改善しないまま時間だけが過ぎてゆく中、切ない胸中を明かした。

 友枝さんは今年1月7日~15日に訪朝し、武志さんらと過ごした。01年に平壌を訪れたまま移り住み、昨年1月に86歳で亡くなった夫、太左ヱ門さんの一周忌も行った。

 懇談会で、友枝さんは武志さんに託された肉声録音を公開。武志さんは「故郷の空と海の山、同級生は一日も忘れられない。一番近い国なのに自由に行けないのは寂しい」と語った。望郷の念を漏らす一方、訪朝した友枝さんに、「日本に永住帰国はしない。子供も孫もいるし、母さんも苦労する」と話し、北朝鮮に骨を埋める気持ちも語ったという。

 武志さんは63年5月、現志賀町から2人の叔父と出漁後、行方不明となり、87年に北朝鮮での生存が判明した。政府は「拉致」も示唆するが、武志さん自身は「遭難して救助された」と説明。02年に39年ぶりに一時帰国したが、拉致問題を巡る日朝関係の悪化も背景に再帰国は実現せず、友枝さんの訪朝は50回目を数えている。

 13歳で北朝鮮に渡った息子を思い、友枝さんは「私が海にやらなんだら、こうはならなかった。胸に五寸くぎを打たれる思い」と言葉に詰まった。「録音は『助けてくれ』との意味かもしれない。だが、どこに頼ったらいいか分からない」と訴えた。【野上哲】


 「録音は『助けてくれ』との意味かもしれない。だが、どこに頼ったらいいか分からない」

 胸にグサリと突き刺さる言葉である。
 だが、この報道だけでは、武志さんが何故帰国できないのか分からない。それは寺越さん一家拉致の真相が分かることを恐れて帰国させたくない北朝鮮の片棒を担いだ連中がいたことに触れていないからだ。下記は私メのホームページ「拉致を隠蔽してきた構造」からの抜書きである。お読み願いたい。

寺越事件、社会党から自民党へのバトンタッチ

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 拉致を隠蔽してきた構造というと、何故か、現在の権力中枢は避け、社民党(旧社会党)や共産党、小沢民主党、自民党では山崎拓止まりの人がネットには結構多い。北朝鮮にとってより重要なのは、権力中枢を動かせる、または影響力を持つ紳士淑女である。木を見て森を語っていたのでは、拉致を隠蔽してきた構造の本質に迫ることは出来ない。
 旧田中派が日本の政治を握っていた時代は、マスコミも、親北派のドン金丸信や野中等に批判の矛先を向けたこともあったのだが、小泉政権になって、旧田中派は凋落し、野中が永田町から追放され、北朝鮮との主たる窓口は森派が握ったにも関わらず、森派への批判は少ない。と言うよりも、マスコミではほとんど見る事が出来なくなった。これは拉致を隠蔽してきた構造が力を増している表れかもしれない。
 寺越事件は唯一の生存者武志の母親友枝がワラをもすがる思いで、石川県選出の社会党の衆議院議員(当時)嶋崎譲の元に駆け込んだため、社会党による工作ばかりがクローズアップされているが、北朝鮮の仕組んだ人命救助という名の美談で幕引きを図ったのは嶋崎だけではない。同じ石川県選出の自民党の大物議員も一枚噛んだのである。
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寺越武志さん
 武志が叔父の昭二、外雄と漁に出て行方を絶ったのは、1963年5月11日。翌12日には破損した無人の船が見つかる。だが、大捜索にも関わらず手がかりは何一つ見つからなかった。
 戸籍も抹消された24年後、外雄さんから、「昭二さんは死亡したが二人は北朝鮮で、元気に暮らしている」という手紙が突然舞い込んだ。
 “おとろしい国”北朝鮮相手では為すすべもなく、家族たちは呆然としていたが、友枝一人が狂ったように動きだした。まずは交番に、次は朝鮮総連金沢支部、警察の「困りごと相談所」、石川県庁外事課、外務省北東アジア課、厚生省、市会議員の門も叩いた。だが、何処に行っても相手にされず、最後に助けを求めたのが、嶋崎譲だった。
 しかし嶋崎は、北朝鮮の遭難していたところを助けたという詭弁をそのまま垂れ流すのみで、武志の戸籍回復すら遅らせようとした。
 外雄は平成6年帰国の望みを果たせぬまま、肺がんのため55歳でなくなったという。
 外雄の手紙によると、あの日船は、機関が故障して、修理中だったとのことだが、発見された船のエンジンは故障していなかった。浸水したというが、朝まで漂流して浮かんでいた。どこにも浸水の痕跡はない。衝突の衝撃で昭二が海に投げ出されたというが、手を伸ばせば、すぐに助けられるはずである。飛び込む必要はない。
 漂流したとしても、岸までわずか400メートル。その日は風の無いベタ凪ぎ。漁師にとって泳いで渡るには造作もない距離である。800キロも離れた清津まで「救助」される必要はどこにもない。
 安明進は工作員から聞いた話として、こう証言している。
 「工作船が日本に近づいたとき、小さい漁船がしつこく追いかけてきた。そこで、秘密が漏れるのを恐れて、乗組員3人を拉致して、船は始末した。『ノト』という場所だった」
 「拉致しようとしたときに一人が頑強に抵抗したので、その場で射殺し、浮き上がってこないように鉛をつけて海に沈めた」
 「残った者の中に少年がいて、拉致したあと泣きじゃくるので、口を塞いで工作船の機関室に押し込め、清津まで連れてきた」

 寺越一家の拉致を「遭難救助」という美談に仕立て上げたのは北朝鮮だが、日本の拉致を隠蔽してきた構造の左右の政党が、多大な協力をした。それについては、調査会の岡田常務理事が北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の理論誌「光射せ」に発表した“北朝鮮に人権(拉致)査察を”で述べているのでご紹介しよう。

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調査会岡田常務理事

 『嶋崎は拉致が顕在化すると、寺越事件について知らぬ存ぜぬを貫き、現在は静岡県伊東市で隠居生活を送っている。マスコミ取材には声を荒げて拒否する。
 2002年8月30日、突然に小泉首相(当時)が北朝鮮への訪問を発表する。この発表と前後して森元首相の動きが慌しくなる。2002年7月、森元首相は北京に飛ぶ。8月19日に日朝赤十字会談で日本側代表団に「寺越さんが故郷を訪問する計画を立てている」との発言が飛び出す。すでに、一ヵ月後の9・17のシナリオ作りは終わった時期と考えるべきで、他の拉致事件とのバランスから寺越事件の処理についての話し合いを進めたのだろう。
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 すなわち、9・17では、一切寺越拉致事件には言及せず、嶋崎が敷いた「遭難救助美談』路線を踏襲し、家族取り込み策を強力に推し進めることである。そのキューピット役を嶋崎に替わって森元首相が引き受けることになる。
 9・17で日本中が騒然となった4日後に森元首相は友枝さんと直接会い、綿密な打ち合わせをし、日本での細かな注意を本人に指示したと言われる。10月3日、武志さんは成田に降り立ち39年ぶりに日本の地を踏んだ。朝鮮職業総同盟平壌委員会の副院長で、労働団体代表団副団長としての日本入りである。森元首相も石川で会い、歓迎の宴は森事務所が仕切った。地元石川での森元首相の影響力は絶大なものがあり、出席する地方首長、地方議員から拉致問題に触れるものは一人としていなかった。森元首相はいまなお政界で大きな力を発揮している。小泉首相、安倍首相、福田首相にとっては長年の派閥の領袖でもあった』


 岡田常務は、2005年米下院議会での拉致問題を解明する決議案で寺越事件の3人は拉致されたと明記されているのに、日本では未だに拉致認定していない、何と恥ずかしい国家だと結んでいる。

 森元首相の行為は、1990年の「金丸訪朝団の焼き直しである。金丸訪朝の2年前、金賢姫が田口八重子拉致を語り、梶山静六国家公安委員長が北朝鮮による拉致を認めていたにも関わらず、金丸も社会党委員長の田辺誠も拉致問題に触れることなく、第18富士山丸の紅粉船長と機関長の釈放のみを懇願し、二人を迎えに行った小沢一郎と土井たか子は、7年もの間、無辜の日本国民にスパイの汚名を着せ不当抑留した金正日に対して感謝の言葉を述べ、紅粉船長たちには北朝鮮で見たこと、聞いたことを日本に戻っても一切しゃべらぬよう口封じをしたのである。
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 小泉元首相について、5人の被害者を取り返した人であると評価する向きもあるが、拉致被害者を返してもらわないことには、国交「正常化」が出来ないから取り上げたのである。それが証拠に、2回に亘る金正日との会談で、「寺越さんを返せ」とは一度たりとも口にしていない。また、拉致被害者5人の帰国も当初は要求しておらず、寺越方式で幕引きをしようとしていたことは明らかだ。
 彼もまた、森元首相同様拉致を隠蔽してきた構造の一員なのである。


 これを書いたのは2年前なので、状況が多少変わっている。小泉政権から安倍政権に移行した時点から森派は親北をあまり言わなくなった。自派出身である「拉致問題の安倍」に遠慮したのであろう。だからといって、寺越さんを見捨てたり、5人の拉致被害者を寺越方式で北朝鮮に留め置こうとした行為が帳消しになるわけではない。
 森派が一歩引いたため草刈場となった北朝鮮利権に飛びついたのが、山拓と加藤紘一。加藤は正確に言うと返り咲きである。
 北朝鮮の走狗社会党の嶋崎譲も真相を語らぬままあの世に行った。武志さんと暮らすため北朝鮮に渡った父親の太左ヱ門さんも昨年、無念の思いを胸に畳んだまま旅立たれた。お亡くなりになられたとき、救う会全国協議会は一片のコメントも発表しなかった。家族会に加入している人の不幸は必ず救う会ニュースで流すのだが……。
 北朝鮮との国交「正常化」を成し遂げるのだァ!と咆哮した小泉元首相は功成り名を遂げ、息子に地盤を世襲して引退する。そして森元首相は未だに政界のドンとして君臨している。

 「録音は『助けてくれ』との意味かもしれない。だが、どこに頼ったらいいか分からない」

 麻生首相に本当に全ての拉致被害者を奪還する気持ちがあるのなら、胸のブルーリボンが伊達じゃないのなら、友枝さんに伝えるべきである。「日本国総理大臣の私に頼ってください。武志さんとご家族を無条件で日本に引き渡せと今すぐ北朝鮮に要求します」と。
 寺越武志さんは拉致被害者であり、人質なのである。われわれには奪還する義務がある

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拉致を隠蔽してきた輩に怒りのツバメ返し一閃!



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