ここのところ、暗いニュースや、悲しい訃報に、元気印の私もめげそうになる。。

今日は、グラシェラ・スサーナさんの悲しいお知らせ。

当時は無理やりに日本語でレコーディングなさってたと思うけれど、スサーナさんの暖かくて深くて憂いにおびた声が私は大好きだった。

同じ音楽事務所にいた事もあり、ステージも何度か御一緒した。

もう、はるか、といっていい昔になってしまった。

東京と愛知県の何処か、、その二つは劇場の名前も忘れてしまったけど、
その後の、飯田市でのコンサートは、よくよく覚えている。

広くはない劇場で、スサーナさんも私も同じ楽屋で、二人ぼっちだった。

ササッとメイクを終えると、あの懐かしいとも思える声で、ポツリポツリ、退屈げに楽屋で弾き語りをしては、途中でため息をついて、その「日本語のうた」はやめて、スペイン語の歌を歌っていた。

カタコトの日本語で、「ヒデミさん、この歌知ってる?」と口ずさんでいて忘れられないのは、

「ある古い歌の伝説」と、
「アルフォンシーナと海」

どちらも、暗い海の波のようなメロディで、そしてその暗い中にキラキラとしている宝石みたいな砂の音がしていた。

表では、宣伝カーが、今日の宣伝をしていて、その音がすごく安っぽくて能天気に聞こえたのは、きっとその2曲と、化粧っ気があまりなくても、声だけで美しいスサーナさんがいて、そのギャップが故に、色々とくっきり覚えている。

夏がそろそろ終わりかけで、乾いた風の日だったのを。

あぁ、きっと、そろそろ秋なんだな、って感じられたことを。

今よりも、もっと秋が長かったような気がする。

淡々とステージは終わって、

終演後、メイクを落としたスサーナさんと私は、楽屋口の脇にある「搬入口」で、

悪さしてるみたいに、

こっそり二人でタバコをふかした事と、

当時の社長の声で「何処にいるー?帰るぞー!」と大きな声が聞こえて、慌ててタバコを二人で揉み消して、タバコ消し用の缶の四角い箱が、変に新しくてポストみたいに真っ赤だったこととか。

声をかけて、東京まで私たちを乗せていったその社長も、とうにこの世にはいない。

スサーナさんの訃報に、それらの事を、グッと思い出して、古いレコードを引っ張り出してみた。




「時代のせいにはしない」と断言している私だけど、

確かに、スサーナさんがヒットを飛ばしていた時代は、音楽がとっても豊かだったのだとも思う。

豪華なオーケストラのアレンジの作品もあれば、スサーナさんの声にだけ焦点を当てただけみたいに、全部削ぎ落として、もはや弾き語りみたいな音源だったり。

音楽をつくるほうも、売るほうも、
「良いなぁ」と思うものをちゃんと作品にする、そんなイキイキした時代が、レコードから伝わってきて、、

あれ、、
あたし、ちょっと時代間違えてきたのかしら、と今更ながら思ったり、いや、そんな訳じゃなくて「これからでしょ」、これから変わるって、あたし決めたわよね、と自問自答したり、、

話しは戻ってスサーナさん。

一緒には舞台をしなくなったけど、彼女もまた後にラジオ深夜便のうたを歌っていた頃。

しょっちゅう、事務所に行くと、応接セットのところにスサーナさんが悲しい顔をして座っていた。。

あの応接セットも忘れない。

なかなか座っちゃいけないような感じがして、座った時は大抵良い思い出がなくて、自分の事は嫌な思いがした、、、くらいで終わっちゃっているけど、

あの席には、よく、スサーナさんや、浅川マキさんが座っていた。

(だから近寄りがたかったのかも、、、)

私が好きだった歌い手は、一人また一人、旅立ってゆく。

向こうはきっと楽しいのだろう。賑やかなのだろう。

どんなに時代が変わっても、私はまだまだこの世でやらなくてはならない事があるから、思い出だけはいつも心に偲ばせていようと思う、寒い夜。

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