歌手として、尊敬していた浅川マキさんが亡くなったという、とても悲しい知らせがありました。




独特なスタイルで、そのアーティスト性を貫き通し生きぬいた彼女の生き方を、私は尊敬していました。





つい先日、このブログに寺山修司さんのことを書きましたが、アルバム「懺悔」がこの世に生まれた背景には浅川マキさんがいます。





写真家の田村仁さんも、「ふしあわせという名の猫」をプロデュースして下さった寺本幸司さんも、当時衣装を担当して下さった方も、私の所属している事務所も、浅川マキさんから繋がっています。





あの頃、新宿のピットインに通いつめました。





満杯のライヴハウスに、全編アカペラ。






そう、舞台には彼女ひとり。





たったひとりで成立してしまう浅川マキの世界に、一節、一言、聞き逃すまいと、固まって聴いていました。





初めてお話ししたのも、ピットインでした。





今、私は新幹線の中で浅川マキさんを聞きながら、外の景色を眺めています。





マキさんから、この綺麗な空は見えているでしょうか…。





本当にお疲れさまでした。