シャンソンってなに?
改めて考えてみました。
フランス語で「うた」のことを「シャンソン」といいます。
イタリアに行けば「カンツォーネ」
だから、本国のほうではクラシック歌曲でもロックでも、フランスのものでも外国のものでも「うたもの」は「シャンソン」となります。
だから、ピアフもシャンソンなら、マイケル・ジャクソンだってシャンソンなのです。
確かに今、フランスの若者はiPodでマイケルのシャンソンを聴いているのです。
詳しく表現すれば様々に分類分けが出来るそうですが…。
そのフランス語でいうところの「シャンソン」は日本に渡って、独自に根付き、どこの国でもない「日本のシャンソン」として定着をしてきました。
シャンソンというジャンルがある国は日本くらいなもの。
私はそのシャンソンが大好きです。
いろいろと、シャンソンの定義ってのがあるのでしょうが、私にとっての定義は「一編の物語として詩的に美しいもの。言葉が伝わるもの。」これにつきます。
音楽、つまりメロディーももちろん。
語ったとしても、その後ろには常に音楽のリズムを感じてなければなりません。
その上で、詩の世界感がどう表現されるかが問題です。
ある時は役者に、ある時は語り手に、またある時は自分に戻ったり…
「イタコ的シャンソン歌手」というのは、まんざら冗談でもない気がします。
主人公がおりてこないと、とてもじゃないけど歌えないなぁと、歌ったあと素になって、恥ずかしくなったりするのです。
自分がいつの時代にか、その歌のそういう環境に居たのかなぁ。とか、多重人格なのかなぁ。とか。
頭をめぐらせます。
おりてくる、物語の主人公に感謝をしながら、いつも歌に向かっています。
だから、私のシャンソンというのはフランスで生まれた曲に限定されているわけではなく、その条件と、主人公が私を通ってもよいか。のお許しが出れば、それはどこの国のものでもシャンソンというわけです。
これは「造語」ってことになるのかしら。
その話しをこの間、友人のシャンソン歌手に話したら、彼は理解が出来ないらしく、
「そりゃ、秀実ちゃん。オージービーフを神戸牛だって言ってるようなものじゃないの?シャンソンはフランスのもんだよ。」
と、かえってきました。
彼は生まれ変わったらフランス人になりたいくらい、フランスに憧れているのだから、無理もなく、そして言葉として「シャンソン」というのが第一フランス語なのだから、ごもっともだなぁ。と思いました。
そして、造語であってもそれが私のゆずれない、シャンソンという定義なのだなぁと、はっきり思ったのでもあります。
ということで、
私は今、その私が勝手に決めた定義にふさわしい日本のシャンソンを探しています。
再来週のパルコ劇場では一部に日本のシャンソンを。二部にフランスのシャンソンをお届けしたいと思っています。
日本のシャンソンを探す。これがなかなか難しいのね。
SMAPだって、ユーミンだって、藤山一郎さんだって(時代はどうでもよろしいのです(笑))、シャンソンになるかもしれません。
今回、構成をお願いしている方や、スタッフからも様々な楽曲が届きました。
こりゃ、面白い作業ねぇ。
多重人格の私でも、渋谷にいるギャルこそおりては来そうもないですが、いろんな楽曲からシャンソン的に景色がくっきりと見えてきたりします。
日本のシャンソンは3日間、日替わりでお届けする予定です。
どうぞお楽しみに!
牛肉の話しを書いていたら、お肉が食べたくなりました。
でも、こんな時間…。
こんにゃくゼリーをかじって、明日はお肉をいただこう。と思います。
日本のシャンソンを探しながら、オージービーフにしようか神戸牛にしようか悩んでいます。