佐々木秀実オフィシャルブログ「言わせてね!愛の言葉を」by Ameba-091204_2210~0001.jpg

以前から観たいと思っていたドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」をやっと観ることが出来ました。





DVD化されている事だって知っていたのに、観ることのないまま、そのままにしていました。





観るべきもの、聴くべきもの、読むべきものは、タイミングと…すべき時という瞬間があります。





私は改めて、つくづくそれを感じました。





観るべき「ヨコハマメリー」は今日だったと確信しました。





画面に釘付けになり続けて3回繰り返し観て、泣きました。





泣けて泣けて仕方のないものでした。






それは私にとって…べき時だったからだと思います。





頭を殴られたみたい。今もまだ頭がくらくらしています。






ヨコハマのメリーさんは、かつて、戦後の混乱期から外国人を相手に娼婦としての人生を貫いた方です。





絶世の娼婦といわれた彼女は老婆になってもメリーとしての人生を通し、顔は歌舞伎のような白塗りでまるで貴族のようなレースのドレスに身を包み、家をもたず、横浜の街に生きて、「お化け」「キンキラさん」などと呼ばれ、白い目で見られる事があった方がいても、メリーの人生を胸を張って誇り高く、乗り越えて来た娼婦です。




彼女の生き方はそのまま戦後の横浜のドキュメンタリーともとれます。





その生き様と「メリーさん」に関わる人たちのドラマを追った素晴らしい映画です。






その中で、もう一人の主人公「永登元次郎」さんが出ていました。






彼もまた幼い頃から苦労をして、ゲイボーイ、男娼となり、シャンソン歌手、ライブハウス「シャノアール」の経営者として、シャンソンの世界でも特別な方でした。





この元次郎さんに対し、私は大変悔やんでいることがあるのです。





それは、私のデビューの時のこと。





メジャーなレーベルから、阿久悠先生の書き下ろしの作品でデビューさせて頂いた私は、当時ヒット歌手にはなれなかったものの、宣伝の方や事務所という守られた社会の中でキャンペーンというものをやってみようかという企画がありました。




それは全国のシャンソンのライブハウスを歌って歩く旅になるだろうと、私自身もちろんやってみたいと思っていたのです。





まずは東京のシャンソニエ、そして横浜といえば「シャノアール」となった時、オーナーの元次郎さんと当時の私のマネージャーさんが電話をやりとりした時に、事務的に横柄に対応したことからご立腹になられ、「そっちから手土産持ってくるのが筋だろう。」となり、出鼻を挫かれたようなマネージャーは「それなら出ない。」となり、そのキャンペーンの話しはそれっきりになってしまったのです。





私は後でそれをきき、あぁ、もうきっと元次郎さんとはお目にかかれないのだと思っていました。




元次郎さんが私に言いたかったのは、「歌はそんなチョロいもんじゃないわよ。」というメッセージであることくらいしか当時私は理解出来なかった自分を、今日私は非常に嘆いています。





元次郎さん、メリーさんの生き方は、そんな甘っちょろいものではありません。





元次郎さんは、自らの体験のもと身をもって、それがわかっていて、私に希望と夢を持つことと、現実の厳しさを伝えて下さったと、それが真の愛情であっただと、私はたった今そのことに気づき、心からの敬意と懺悔の念にかられています。




映画を撮り終えたあと、すぐに病に冒されていた元次郎さんはこの世を去りました。





そして、生前に元次郎さんは私の歌を好いて下さっていたと、風の便りで聴き、それを名誉に感じております。





生きることに真剣な人生、歌に対する思い。





今、お逢いして、感謝を伝えることが悔しくて悔しくてなりません。





人生も歌も生っちょろいもんじゃないわよ。





やるならとことんやりなさい。





ギリギリのところで歌いなさいと、映像の中でメリーさんと元次郎さんからのメッセージを頂きました。





まったくその通りです。




ありがとうを伝えられなかった懺悔は強くありますが、ですから今日、その映像を観ることができたのは…べき時だったのです。





大変な時代を乗り越え、こよなく横浜を愛し、人を愛し、強く生きたメリーさんと元次郎さんに心から敬意を表します。





そして、今までもこれからも生っちょろいところで決して歌ったりしないように、これだけは誓います。




人として。歌手として。




生きることに必死だった時代。






横浜の街が横浜らしい街でもあった時代。





今日はこの映画を観られた事と、どうしてもすぐに観たいという私のわがままに、速達でなかにし礼さんのエッセイ集とともに送って下さった長野市に在住のK氏に感謝をこめて。





メリーさんと元次郎さんが生きて来た街、横浜にある劇場で私は今年、関内ホールでリサイタルをしました。






終わってからのサイン会に、一番最初に並んでいて下さったのは、今の「シャノアール」を経営なさっている、元次郎さんのご親戚の方でした。





それはとても嬉しい出来事でした。





明日、私は来年リリースが予定されているCDのレコーディングをします。





その作品は、私がシャンソン歌手としてデビューさせて頂いた恩師・矢田部道一さんの作品集です。





どんな大きな劇場で歌える歌手になっても、人のぬくもりを忘れない歌手である人間でありたい。




また、初心に戻れる自分の心の幅をもっていたいとつくづく思う一日です。