ダイヤモンドオンラインでLiLiCoさんのインタビュー記事を公開しています。まだ来週も記事を出していくので全部出し終わってから改めて紹介したいと思いますが、一昨日公開された第2回めの記事
LiLiCoが明かす、“距離を置いたほうがいい人”の特徴とは?「なんでこんなに必死に…」
本日Yahoo!にも転載され、みなさんそれぞれの「人間関係」について思うことのコメントがアツかったです!
「なんでこんなに必死に…」、LiLiCoさんは食事でおごることについてでしたが、私は編集部に対してそう思うことがこれまで何度かありました。そして自分がそう思った編集部とはうまくいかなくなります。
なんでこんなに必死にーーそれはもちろん自分の記事が読まれたいからなのですが、それ以上に私の場合はその媒体や担当編集の人が好きだから、だから必死に一生懸命、こんな企画は?あんなタイトルは?こうしてみては?とあれこれ提案してしまうんですよね。でも編集側がそこまでその記事に力を注ぐことを求めていないと、やがて温度差が生まれ、面倒がられて(笑)。
ところで、大好きなLiLiCoさんの記事を出すタイミングで、自分の肩書きをジャーナリストからノンフィクション作家に変更したい、とダイヤモンドの編集の方に相談しました。
すると、「ジャーナリストとは自ら問題意識を持って追及していく仕事で、笹井さんはまさにそうだから、肩書きを外すのはもったいないですよ」というありがたい言葉をいただいたので、「ノンフィクション作家、ジャーナリスト」にすることに。
まだ記事にしていないのですが、先日取材した方から「一つの職業のピークは10年から15年」と聞き、また宮崎駿さんの映画にもそんなセリフが出てきますし、私自身、これまで10冊の本(と2冊のムック)を出版したこと、ジャーナリストと名乗って10年になることから、これまでの仕事の区切りをつけたかったという気持ちが大きいです。側から見れば、今後もやっていることは、あまり変わらないかもしれませんが……笑 でも、私の中では「何かを追及する」「批判する」よりも、今後は取材対象を深く掘り下げていきたいと思っています。食べものに関しても同様です。読者の疑問に答えるという名目で、何かの食品をたたいて記事を読ませるのではなく、基本的には取材先も読者もみなが豊かになれる世界を書いていきたいです。
私はどんな取材先でも、私個人としてその人に向き合っています。
それは編集部に対してもそうで、「対 編集部」というより「対 編集者(人)」として私個人が向き合っています。なので、書いた原稿に対して、また私との会話の中で、「編集部の見解」とか「編集長の意見」は二の次で、まずは自分が話している人の意見が聞きたいのです。
でも最近、「我々」とか「編集部としては」「当方」などと言われることばかり。あくまで「企業」としてあなたに接している、時には企業を隠れ蓑にして自分を隠すような編集の人の姿勢をひしひし感じ(私がそう意識しているからなんだろうか)、悲しい気持ちになりました。
以前、花田紀凱さんの産経新聞の連載「週刊誌ウォッチング」で、<文藝春秋は読者に対しても、筆者に対しても誠実な会社だと思います>と私が書いた文を紹介されましたが、思い返すと文藝春秋で担当してくれた編集者は、いつも私個人に、個人として向き合ってくれたと思います。
今、お仕事をしているダイヤモンド社の編集の人も、Hanadaもそう。
もちろん編集長や編集部の意見はあってよく、最終的にそれですべてをひっくりかえされても仕方ない。原稿が没になっても仕方ない。でも、筆者と向き合う時には、個人として責任をもって話す、その姿勢がほしいと思いました。それが「誠実」ということなんじゃないでしょうか。
でも「組織」に長くいるうちに、「いい記事を作ること」よりも、「優先すること」が出てくるのか……。それじゃあ、なんでその仕事(編集)をしているのよ、と言いたくなります。
私は書きたいものがあるから、この仕事をしています。
この仕事を続けるために書く、ということがないようにしようと改めて思います。