4月に入ってから無性に掃除がしたくなり(試験前に掃除がしたくなるように、書かなきゃいけない原稿があるのに…笑)、でもそんなに時間がとれないので、毎日30分ずつくらい片付けをしていました。といいますか物を捨ててきました。
娘が高校3年生だった一昨年の夏、入学金や大学1年の授業料は用意していても肝心の受験料がない!と慌て、家賃が数万円安くなる今の家に引っ越しました(大学受験には1校3万5000円くらいの受験料がかかります。「浪人を考えられないなら、5、6校受けられるといい」と高校の先生に言われました。さらに各校の合否によって入学金がダブル、トリプルとかかることもあるのですが、それらをまったく考えていませんでした…!)。
狭い家への引越しとなったので、2年前の時点でかなり物を捨てました。本棚が6個くらいあったのですが半分くらいにして、ダイニングテーブルや押入れにあったもの、ぬいぐるみなどを処分。また1年前にも、娘の受験が終わった時点で、さらに大量の物を捨てました。本や雑誌も500冊くらい処分したと思います。
が、今度はもっとスッキリさせたい! と思い、今月になって本棚は1つだけを残してあとは処分。基本的に「今」使っていないものは全部手放すつもりで、断捨離してきました。自分の本も、「老けない最強食」「国保」「児童書」は、今抱えている仕事で使う可能性があるので手元に残し、あとは捨てました。
でも今使っていないのに、どうしてもどうしても捨てられなかったものがひとつーー。
という時に、4月25日発売のプレジデントが届きました。タイトルが「9割捨てる生き方」。笑ってしまいました。なんてタイムリー!
連載してきた5年間、毎号プレジデントを拝見してきましたが、たぶん今回最もちゃんと読みました。星野編集長後記でもふれられていた、巻頭の中野善壽さんへのインタビュー記事「ぜんぶ捨てると、なぜ豊かになれるのか」が面白かったです。
<いい思い出こそ、捨てるべきだというのが私の意見です。なぜかといえば、いい思い出というのは大切にしたいがゆえに、それにしがみついてしまうからです。(略)過去を守ろうとすれば、前例を打破できなくなり、未来を縛ることになってしまいます>
これを読み、はっとして、ずっと捨てられなかったものを捨てる決心がつきました。
捨てられなかったもの…実は11冊の「週刊文春」です↓
自分の記事が掲載された週刊文春の中で、この11冊が特別でした(以前、家族には「私が死んだらこの週刊文春を棺に入れてほしい」とお願いしたくらいです)。表紙を見るだけで自分の記事だけでなく、右トップ、左トップが何かもわかる、とても思い出深いもの。ちなみに上に重ねられた向かって右のペンギンの表紙が、私が初めて週刊文春で書いた号、向かって左の猫の表紙が、尊敬する新谷学さんが編集長を務められた最後の号です。
でも、とっておいて何になるのだろうと、プレジデントの記事を読んで思いました。そして昨日捨てました。
プレジデントの同号で、<「ミニマリスト4賢者」が証言>という記事も興味深くて、特に4人のうちの最後、音楽業界で実績をだした方が15年前からニュージーランドに移住し、自給自足の生活をしている話に引き込まれました。
記事には、<自分が惚れ込んだアーティストの音楽を世の中に届ける仕事では、数々の感動を味わいました。それでも、生きていてもっとも心が震えるのは、「透明な湖で大きなマスを釣る」瞬間。その絶対的な幸福の「自分ランキング1位」はずっと変わることがありませんでした>とありました。
あなたの幸せランキング1位は、なんでしょうか。
私は、改めて自分の胸に問いかけると、誰かと話していて心が通じたと感じた瞬間や、それを表現して誰かに共感してもらえた時かなーと思いました。
取材して原稿を書く仕事は、私がやりたかった仕事です。でもコロナ禍以降、取材より原稿を書く時間が長くなっています。だから人に会う時間が減り、ワクワク感も少なくなっていることに気づきました。
ちょっと勇気が必要ですが、今までの経験で、テクニックで書けてしまう仕事はこれから手放し、ワクワクしながら取材できたり、自分自身の成長につながる仕事を残していきたいと思います。