Den Fujitaの商法(藤田田)
Den Fujitaの商法
藤田田 著
ワニの新書
5年前に亡くなられた、日本マクドナルド元社長・藤田田氏による著書。
学生時代に読みまして、大変感銘を受けました。
すでに絶版になっているようですが、大変な良書だと思っていますので、
勿体ないと思います。
マーケティングをテーマに、少し個人的な話をはさみます。
僕はいま、小さな会社を営んでいます。
たいして儲かっていませんので、あまり大きなことは言えないのですが。
高校生のころ、「マーケティング」という言葉をはじめて耳にしたのですが、
思い返せばそのときが、将来(今)を決めるひとつのきっかけになっていたのだと思います。
「マーケティング」。
耳にしただけで、言葉の意味を説明されたわけではありませんので、
雰囲気でそのころは捉えました。
マーケティング=スーパーマーケット。のような活動かと。
スーパーマーケットがシェアを広げていく様子を想像して、
それがまるで戦国時代の大名が天下獲りに行くさまのように思いまして、
こうやって俺はのし上がってやるんだと(笑)、当時そう思いました。
マーケティングは、マーケット(市場)に関わる営業活動の総称ですから、
雰囲気で捉えた言葉の意味は遠からずでした。
プロダクトとかプライスとか、プレイスとかプロモーションとか、
理屈を学んだのは大学の講義においてです。
ところが、コーヒー一杯も“自分の力で”売ったことがない学生にとって、
学術的なアプローチはいまいちリアリティに欠けます。
そんな折に出会ったひとつが、今回の書籍でして、
いま10年経って、パラパラとめくってみて、
色褪せないどころか、自分自身の“仕事脳”の原型になっていたのだと、
改めて驚かされている次第です。
本書は藤田氏の経験をもとに書き下ろされた活きたマーケティング書でありまして、
内容が大変面白いです。
たとえば「ロケーション」(場所選定)。以下引用です。
日本の商人の十人のうち九人までが、「銀座へ出られるならば、どこでもいい」
という考え方をする。実におおらかである。ところが、これがとんだ間違いなのだ。
銀座でも「商売になる場所」、つまり、「儲かる場所」とそうでない場所がある。
(中略)
銀座の人の流れを(略)長年眺めているうちに、人の流れにも法則のようなものが
存在するのに気がついた。銀座通りの人の流れは、一丁目から四丁目までは
新橋に向かって左側の往来が激しく、五丁目から八丁目にかけては、反対に
右側のほうが人の流れが多いことに気がついたのだ。
(略)事実、同じ銀座でも四丁目の反対側にあるDという同業者のお店は、
人通りが少ないだけ客足も少ない。
(略)場所をどこにするかというのは商売をする上で基本ともなる大切な問題なのだ。
(略)日本人は標準の物差しをひとつしか持っていない。十メートルの距離は
(略)十キロ違うのと同じことになってしまう。
引用続けます。藤田氏の友人で、大阪の裏通りにあるポルノ映画館を経営し、
儲かっている方があるそうですが、その方が氏に、
「こんなへんな場所でこれくらい入るのだから、あっちの賑やかなところへ行ったら
もっと入るんだがなあ」
と言ったそうですが、それに対し、
「ポルノっていうのは質屋だ。たとえば、銀座四丁目の角に質屋があったら、
はやると思うかね。客はひとりも入らないね。質屋は人目にたたんところに
あるから営業が成り立つんだ。ポルノだって同じだよ。
こんなへんな場所にあるから客が入るんだ。」
と返したそうです。
商売の種類によって、店をどこに出すか、条件がかわってくる。いずれにしても
ロケーション(場所選定)が重要であることに変わりがない。
乞食でも人通りがすくない裏通りで商売したら干上がってしまうことを知っている。
乞食は乞食なりに、ちゃんとロケーションを重要視しているのだ。
と、この話題を結んでいます。
読んだ学生の僕は、お金がないですし、家賃が安そうな裏通りの物件を借りて
ポルノ映画館をはじめようと決意・・・しなかったですが、
生きたマーケティング(4Pで言うところのプレイス)として大変に刺激をうけました。
今読みなおして思います。
現代の感覚で、当たり前に思える上記ようなエピソードも、
ほとんどの、とくに中小企業では、実に徹底されていないように思います。
数年前に、ある通信系商品の契約獲得を目指した街頭キャンペーンの
ロケハン(場所を確保する仕事)の手伝いをさせてもらったことがありまして。
せっかく獲得した吉祥寺の一等地で燦々たる結果に終わったことを思い出しました。
その時僕らは、まさに「銀座ならどこでもいい」側の人でした。
質屋の例がありましたが。
最近若い女性が宝石を気軽に質に入れ、また他人が使った貴金属を
気軽に身にまとう、そんな人が集う質店が、表通りに出店しています。
若い店員ときれいな内装のお店が大変に賑わっています。
時代が移り変わります。
新しい趣向と人の流れを理解し、マーケティングに注入するべきです。
故人から学ぶ後輩としての役割なのだと思いました。
すべての男は消耗品である(村上龍)
すべての男は消耗品である
村上龍 著
角川文庫
角川?
アマゾンの書評を読みたくて検索したら集英社となってまして。
手元にあるのは角川文庫版です。版権が移動したのでしょうか?
およそ20年前のこの作品を、今更読みました。
村上龍という、アクの強い作家を僕はずっと嫌いだと思ってましたが、
無意識に小説などを手にとって、気がつけばほとんどの作品を読んでます。
たぶん、好きです。村上龍のことが。
なんで嫌いと思っていたか。世代です。ぼくがいま30歳代前半。
一番輝いていた頃をタイムリーに知らない。
子供のころから読書が好きだったり、世相に詳しかった方は同年代でも
詳しいのかもしれませんが、感覚としては、僕が大人になったころには既に有名だった人。
それは構わないですが、サッカーやらなにやら首を突っ込んでは威張ってますから、嫌いです。
さらに悪いことに、村上龍が好きな知人は、なんとなく暗い奴が多い気がする。
つまり、たいした理由はありません。
ただ好きだと書くのにこれだけエクスキューズをしなければならないのは、
それだけアクが強く、力強い作家だからだと思います。
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さて。「すべての男は~」の話。
この本をなんとなく避けていたのは、昔ある女性から最低だと評価を聞いていたからでした。
他人の評価をそのまま受け入れることはあまりしないつもりですが、
それでも、話題に出たものをいちいち自分の目で確かめていたら
時間がいくらあっても足りませんから、まあ、そんなものかと思ってました。
「浅知恵とは、女のためにある言葉だ。生物学のレベルでいうと、女には知恵はない。
知恵というのは、幻想の父性を背負わされた男にだけあるものだ」(本文引用)
開いた途端にそんな一文がありまして。
なにが不評だったのか、読んですぐ理解して、噴出してしまいました(笑)
その先を嬉々として読む女性がいたらおかしな人です。
(それか、よほどの思慮深い聞き上手か)
読み進めると、逆に、全体的には女性を称えた内容です。
おそらく作者にとって“落としにくい”女性を、小利口で浅知恵で魅力がない、と切って捨てるのは
行き過ぎだとしても、ロジックよりも男とオルガニズムを大切にする女性に
生物としての強さを見出して、受け入れるところを起点にしています。
そして、先が見えてしまって女性から捨てられる男を使い捨てライターごとく「消耗品」に例えます。
なかなか潔くて、好感を持ちました。
一見お馬鹿な感じの女性の方が恋愛、結婚において有利に働いている気がしますし、
それは優秀な遺伝子を確保する上で、勝利と言って良いと思います。
(選択肢が多いほど有利、という意味で)
賢い女性は、知性とセックスを上手く使い分けているのではないでしょうか。
男女関係の確かな側面を鋭く捉えたエッセイが続きます。
「美人は三日で飽きるというのは言うまでもなくブスを自決に追い込まないための
嘘であって、ブスは飽きられることさえないのである」 (文中引用)
“言うまでもなく”が笑う個所。
たとえばこんな、細かい所に反論があったり、作者がいかにモテるかを語るエピソードが
目に余る方はあるかもしれませんが、本書の場合、逆にそれくらいでないと説得力を持ちません。
エッセンスを抽出すれば奥深く、読み応えがあります。
批判を恐れずに本音に切り込んで言い切ってしまう、勇敢な作家です。
もっといえば、作者のいまの考えは大分違って来ているそうですが、
恋愛を語る上では、年をとった村上龍より、書いた当時の彼に分があるように思います。
ついでに書きますが。
あとがきの山田詠美が、子供の喧嘩みたいでとにかく最低です。
そして、それ以上に背表紙が最悪です。
「なぜ男は元気を失ったのだろう。なぜ女たちは輝いているのか。幻想の時代を生きる
男(女)たちへ、これが“快楽主義者”リュウからの解答。」 (背表紙引用)
出版社の担当には売る意思がなく、馬鹿にしているのでしょうか。
おそらく社内か、あとがき作者か、世間の空気を読んだのか知りませんが、
宣伝をする立場としては、もうすこし頑張った方がいい。
と書いたところで。
初版当時に巷を騒がせるほどの影響力があったとして、
その反動でいろいろな批判があるとすれば、山田詠美の反論も理解できます。
いずれにしても、当時の様子を僕は知りません。
花壇(井上靖)
井上靖 著
角川文庫
今年読んだ中で一番好きです。
新刊ではないので、今年、は変ですかね?
1976年の作品で、著者が1907年生まれですので、69歳で書かれたことになります。
あすなろ物語よりも天平の甍よりも氷壁よりも、個人的には好きだと思いました。
それぞれ素晴らしい本ですが、とにかく今は、コレを推します(笑)
「自分本位に生きる」ことが主題となっています。
江波建設(架空の会社です)の江波棟一郎という人物が、
“とある出来事”をきっかけに残りの人生の送り方を考え直すこととなり、
社長を退任するところから物語がはじまります。
自分本位に、自分のために生きようと心に決めます。
ところが、自分のため、というのがなかなか難しい。
他人との関わりの中に「自分」があるわけですから、
自分の胸のうちでひたすら葛藤を繰り返しても、やはり難しいです。
ああでもない、こうでもないと自問自答する棟一郎の姿は
まるで「自分探し」をして何も発見できない大学生のようでもありますが(笑)、
これまで犠牲にした家族や友人や身辺の人々との掛け合いの描写は
真に迫るものがありまして、自分探しにも60余年分の迫力があります。
読んでいる最中、僕自身、仕事や大切な人たちとの関わり方を
久しぶりに改まって考えさせられました。
そんな内容の本ですから、全編を通じて、ゆっくりゆっくりと物語が進行します。
終盤にある決断を迫られ、結論に向かって動きだすことになりますが、
未だ読んでない方のためにネタばらしは控えます。
ひとこと感想を言えば、僕が期待したとおりの決断でした。
期待については、読者それぞれで違う考えがあろうかと思いますので
いろいろご意見あればお聞かせください。