訪問日 令和6年 4月 6日
今回訪問したのは、いなべ市藤原町鼎にある「鼎塚」。
「清司原神社」の南側に位置する。
入口付近の様子。
川沿いの道を南に進むと開けた場所に出る。
東側奥に目的地の塚がある。
「鼎塚」。
一部が大きく欠損している。
絵馬が奉納されている。
話によると、コロナ前は鹿児島の子供たちが訪れていたとか。
確かに、「チェスト」と書かれている。
解説板は、川の対岸の道沿いにある。
解説板。
(解説文)
鼎 塚
西暦一六〇〇年(慶長五年)九月十五日、現
在の岐阜県関ケ原町辺りにおいて、関ヶ原の戦
いがあり、東軍方・徳川家康が圧勝。
西軍の諸将は敗退、中でも島津義弘率いる、
島津軍は敵中突破を敢行し、別隊は牧田より時
村へ、本体は養老山地を南下し、駒野より山越
えで二之瀬・田辺を経て鼎を通り、先の別隊と
時村で合流し、五僧・保月峠より多賀へ抜け、
大阪へと実に多くの戦死者を出し脱出、成功し
た有名な歴史がある。
鼎塚は、その島津軍の戦死者を土地の人々が
弔った塚との伝承が残されている。
昭和になって龍雲寺を訪れた、俳人・前田普
羅はとりつかれたように、謡曲「鼎塚」を書き
上げたと言う、不朽の名作と言える。
平成十三年三月
藤原町教育委員会
川越しに見た「鼎塚」。
桜が満開な良き日だった。