後瀬山栄昌院(岐阜市) | 鬼丸のブログ

鬼丸のブログ

気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 令和6年 2月 3日

 

今回訪問したのは、岐阜市佐野376にある「後背山栄昌院」。

臨済宗妙心寺派の寺院。

浅井三姉妹(茶々・初・江)のうち、次女の常高院(初)の菩提寺。

 

集落から寺院へ入っていく道。

この先、道幅は狭く、又、駐車場も狭いので、車で訪れる際は、
近くにある公民館駐車場を利用させてもらうことをお勧めする。

 

解説板。

 

(解説板)

  後背山栄昌院(臨済宗妙心寺派)

 栄昌院は、織田信長の妹であるお市の方と

浅井長政との間に生まれた三姉妹(茶々・初・江)の

うち、次女の常高院(初)の菩提寺です。

 初は、近江の名門で若狭国(福井県)小浜

城主となった京極高次に嫁ぎました。寛永

十年(一六三三)に江戸で亡くなり、法名を

常高寺殿松巌栄昌大姉といいます。常高院の

没後、その側近く仕えた侍女七人が小浜に

それぞれ寺庵を結び、全体を栄昌院と号して、

常高院の菩提を弔い続けました。

 明治維新を迎えたとき、尼僧たちは小浜から

京極家の領地であった丸亀(香川県)に移り

ました。しかし、明治初期に京極家が祭祀を仏式

から神式に改めたため、常高院の位牌とともに

尼僧が美濃国方県郡佐野村(岐阜市)へ来住し、

栄昌院を復興したのです。
 当寺には、妹の江から常高院に宛てた手紙

など(現在は岐阜市歴史博物館に寄託)が伝来

されており、また常高院の供養塔とともに、

寺を守ってきた歴代の尼僧たちの供養塔も

建っています。

 

 

寺院付近の様子。

 

「寺号標」。

 

寺院前にある地蔵菩薩。

左が寛保三年、右は宝暦二年のもの。

 

「山門」付近の様子。

 

蔵。

何度も泥棒に入られたため、

重要なものは市に寄託してあるとのこと。

 

庭の様子。

 

この祠は、弁財天を祀ったものらしい。

以前は池だったらしいが、

ある地震後、山から水が流れてこなくなったそうだ。

 

供養塔を見学するため、山へ。

 

途中で左右に分岐している。

左側には墓地があるので、右側に進む。

 

右側の道。

 

供養塔付近の様子。

 

常高院(初)の供養塔。

周囲には、常高院や栄昌院について刻まれている。

 

台座には、侍女七人が結んだ寺庵の名が刻まれている。

 

見学後、こちらの尼僧の方と色々お話をさせて頂きました。

感謝。