日子坐命御墓(岐阜市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 令和2年 9月14日

 

今回訪問したのは、岐阜市岩田西3丁目にある「日子坐命御墓」。

清水山中腹、「伊波乃西神社」の旧鎮座地にあたる。

 

日子坐命は、開化天皇の第3皇子で、

崇神天皇の異母弟、神功皇后の高祖父、丹波道主命の父、

五十瓊敷入彦命(伊奈波神社祭神)の祖父にあたる。

美濃を領地とし、子の八瓜入日子とともに、

治山治水開発に努めたと伝えられる。

この地で亡くなり、この地に埋葬されたという。

明治8年(1875)、宮内省の調査により日子坐命墓に治定され、

宮内省陵墓寮の所管に移されたため、

その地に鎮座していた「伊波乃西神社」が現在地に遷座した。​​​

 

「伊波乃西神社」西側にある入口。

 

苔生した道が、清水山に向かって続く。

 

「伊波乃西神社」の西側からの道との合流点。

ここで左に曲がり、山裾を進む。

 

道の途中、右側に山中へと上っていく階段があるので、

階段を上っていく。

 

階段は、途中から急角度になり、その先に「鳥居」等が見える。

 

宮内庁管理の陵墓ということで、

「開化天皇皇子 日子坐命墓」の案内板と「宮内省」の杭があるが、

陵墓の解説等はない。

 

陵墓全体の様子。

山の斜面にあり、正面は石垣となっている。

陵墓の手前が広くなっているのは、

「伊波乃西神社」が鎮座していたためか?

 

「鳥居」。

 

内部にある大きな石。

古墳の「天井石」というより、墓石のための石といった感じだが、

詳細は不明。

 

「玉垣」で囲まれた陵墓の西側(左側)には、

地面に石組がされており、それが上部下部へと続いている。

恐らく、人工的な「沢」で、

陵墓周辺の土砂の流出を防ぐ役割をしているのではなかろうか。

 

東側には、大き目の沢が見られた。

 

最後に、上ってきた階段を敷地から見た様子。

 

静かな時間・空間を堪能できた。