伊波乃西神社(岐阜市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 令和2年 9月14日

 

今回参拝したのは、

岐阜市岩田西3-421に鎮座する「伊波乃西神社」。

 

祭神は、日子坐王。

勧請年月は不詳だが、

延喜式神名帳に「美濃国各務郡七社の内、伊波乃西神社」とある。

長良川の南側、清水山の山裾に鎮座する。

祭神日子坐王は、人皇第九代開化天皇の皇子で、

伊奈波神社の祭神丹波道主命の父君にあたる。

王は、勅命により東日本統治の大任をおび、

美濃国各務郡岩田に下向し、治山治水に着手され、

農業をすすめられ、殖産興業につくされたという。

日子坐王薨去の後、御陵を清水山の中腹に築かれた。

明治8年12月、正式に日子坐王陵と確認されたので、

宮内省陵墓寮の所管に移された。

 

神社正面付近の様子。

神社は、南面している。

「鳥居」東側に、駐車場完備。

 

「一之鳥居」。

 

「二之鳥居」。

 

「二之鳥居」横にある系図と由緒書。

 

式内銀弊社 伊波乃西神社由緒(由緒書)

祭神

 日子坐命

この社は延喜式神名帳に「美濃国各務郡

七社内伊波乃西神社」とあり、二千有余

年の間我々の祖先が崇敬しつづけてきた

格式髙い由緒ある神社である。

 祭神、日子坐命は人皇第九代開化天皇

の第四王子で、四道将軍丹波道主命の父君に

あたる。御子八瓜命が美濃前国造に命ぜられ

るにあたり同道してこの地に来られ、地域の

安定と人々の生活向上に心血を注がれ、住民

の信望を一身に集められた、薨ぜられるに

あたり、住民はこの地方開拓の祖神として

北山中復に手厚く葬り崇め奉った。古来こ

の墓所には社殿があり、ここを伊波乃西神社と

称していたが明治八年宮内省より御陵墓と

認定されたため現在地に遷宮し奉ったもの

である。

 昭和六十一年 銀幣社に昇格された。

 平成三年四月

           氏子總代

 

 

「二之鳥居」前にある「石燈籠」。

嘉永六年癸丑八月とある。

ペリー来航の年、世の安寧を願ったものか。

 

「石燈籠」が立ち並ぶ「参道」。

 

「参道」中程の西側にある「庚申様」。

 

「参道」を抜けると、広い境内に出る。

 

「手水舎」。

 

「手水舎」横にある「志*乃池」。

 

「神馬」。

 

石碑「平和の礎」。

 

立派な「社殿」。

奥に行くに従い、一段一段高くなっている。

 

「拝殿」。

 

天井には、「神輿」が収納されている。

「拝殿」や「社務所」で、よく見掛ける。

 

由緒書。

 

伊波乃西神社由緒略記(由緒書)

一、祭神 日子坐命 開化天皇々子

一、勧請年不詳

一、延喜式神名帳に「美濃国各務郡七社内

   伊波乃西神社」とあります

一、日子坐命(美濃国各務郡 美濃国「祚神社」造祖)は当地方

   開拓の祖神にて又伊奈波神社御主神

   の外曽父に当らせられ二千余年の長き

   に亘り我々祖先が崇敬しつづけてきた

   由緒深き神社であります。

一、伊波乃西神社に続き日子坐命御墓

   あり明治八年十二月御陵墓確定の

   旨兆域を定められましたが本来は

   御墓と社を併せて「式内伊波乃西神社」

   とたたえ奉る。

一、祭禮日  四月五日(現在は四月第一日曜日)

   昭和六十一年十二月

    謹認之           氏子総代

 

 

「祭文殿」。

 

「本殿」。

 

左右に鎮座する「境内社」。

 

「社務所」。

 

「社務所」の奥にある二つ目の「手水舎」。

祭礼等の際に使用するものか?

 

境内の西端には、更に西にある元鎮座地へと続く道がある。