尾張国衙址(稲沢市) | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成31年 3月11日


今回訪問したのは、稲沢市松下2-13-11にある「尾張国衙址」。
跡地は、松下公民館一帯と考えられる。

現在は住宅地等となり、遺構は確認できない。


松下公民館。

東隣に鎮座する「松下神社」?の「社務所」も兼務する。
尾張国衙址2 尾張国衙址17


神社正面。

石碑「尾張国衙址」や解説板等がある。

因みに、東隣に集合住宅があるので、

撮影の際は洗濯物等のプライバシーに配慮しましょう。
尾張国衙址3


石碑「公民館建設碑」。

尾張国衙址4


      公民館建設碑(石碑文)

奈良時代から尾張の政治文化の中心地と

して栄えた 寛文の頃20戸から現在500戸に

発展した その国衙跡に公民館を建設した

この公民館は永年蓄積した資金と松下が

幾世紀も管理していた墓地跡を売却した資金

等をもとにしてこれを建設した

    昭和六十一年八月吉日完成



解説板。
尾張国衙址6


尾張国衙址(解説板)

  古代律令制の時代、国司(現在

 の県知事)が政務をとる官庁が国

 衙とか国庁といわれ、その所在地

 を国衙といった。

  国衙は、大化の改新のあと七世

 紀後半に置かれたが、尾張の国衙

 は松下の地にあったとされ、この

 地が政治・文化の中心であったと

 される。

                  稲沢市



神社の様子。

50cm程の基壇上に社があるのみ。
尾張国衙址14 尾張国衙址7

境内にある「尾張国衙址礎石」。

尾張国衙址13 尾張国衙址12


解説板。

尾張国衙址9


  尾張国衙址礎石(解説板)

 この2個の石は、一辺60cm前後、厚さ13cmの扁平な

形をしており、石材は、岐阜県養老山系で産する硬質

砂岩の河戸石で、史跡尾張国分寺跡の塔跡に残る礎石

にも使用されていた。

 これらの石は、尾張国府跡の発掘調査を進めていた

昭和50年代に松下地区で別々に発見されたものである

が、それぞれ国衙に係わる建物の礎石と考えられる。

長らく個人宅で保管されていたが、平成28年に松下区

によって、末永く保存していくことを検討され、所有

者の了解を得て、この場所に移設保管したものである。

                  稲沢市教育委員会



公民館周辺の住宅地は、

大半が道路よりも30~50cm程高くなっている。

これは、国衙跡の名残か?
尾張国衙址18 尾張国衙址1


尚、後に「尾張国衙址」には「松下城」が築かれ、

15世紀中頃に尾張守護代となった織田敏広が居城としたという。

織田敏広は大和守家で、清州織田家の祖となる。