続き。
階段を上る途中、山肌を見てみる。
階段左側にあった石垣跡。
城跡遺構というより、階段を造った際のものと思われる。
階段を上りきると、道は三方向に分かれている。
正面の様子。
奥に階段が見える。
左側の様子。
草が生い茂り、進む気にならない。(苦笑)
右側の様子。
恐らく、こちらに進むのが正解。
階段が気になるので、先ずは正面へ進む。
階段の様子。
暫く誰も上っていなそうな雰囲気。
階段を上ると何やら施設跡がある。
場所的に下にあった忠魂碑があった場所なのかな?
下の碑の前にあった解説等を読んておけば良かったと少し後悔。(汗)
施設跡の左側は崖となっており、
そこに「竪堀跡」の様な溝が確認できるが・・・如何かな?
施設跡の左側には、上へと続く道があるのだが、
柵やロープで塞がれており、現在は使用されていない様だ。
三差路まで戻り、今度は右側へ進む。
道は、急かつ整備されているとは言い難い状態。
だが、踏み跡があり、杖が無くても上ることは出来る。
最終的に、この道は整備された道につながっていたが、
ここが正規ルートであるかどうかは疑わしい。
合流点で左側を見ると階段があったので、階段を上る。
東屋やベンチ、解説板がある平坦地に出る。
「曲輪跡」なのかな。
解説板。
残念ながら、ここの眺望は悪い。
「主郭跡」と思われる山頂付近(67.6m)。
石碑「鷺山城跡」と三角点がある。
「主郭跡」から尾根を遮断するかのように突然落ち込み、
通路(「堀底道」?)を挟んで北側は、1m以上高くなっているので、
階段を下りて、すぐにここは「堀切跡」ではないかと思った。
残念ながら、確証はない。(汗)
北側の平坦地に建つ「太子堂」。
使われている様子はない。
「大師堂」周辺の平坦地。
ここも「曲輪跡」だったのだろうか。
「大師堂」下の「石垣」の様子。
かなり崩れているので、近付くのは危険。
注意看板もある。
「堀底道」から西側へと続く階段があるので、
そちらへ下っていく。
「主郭跡」の西側下に当たる部分には、
「竪堀跡」か沢なのかはわからないが、
大きな縦溝が2本程確認できる。
西側の大部分は、竹林となっている。
整備された道を下ると、西側山麓にある「心洞寺」にでる。
ここにも解説板がある。
解説板の内容は、「北野神社」のものと同じ。
明確に城跡遺構と確認できるものはないが、
色々と想像力を掻き立てられる場所はある。
一度雪が降った後位に、再訪問すると新しい発見があるかも。
続く。