訪問日 平成30年 6月25日
今回訪問したのは、岐阜市鷺山にある「鷺山城跡」。
いつも見慣れた小丘だが、今回初訪問。
何が出るやら楽しみだ。(笑)
登城口は、今回自分が確認しただけでも5ヶ所ある。
1.鷺山公民館付近(北東側)
2.北野神社付近(東側)
3.鷺山公園付近(南側)
4.心洞寺付近(西側)
5.白山神社付近(北西側)
今回は東側に鎮座する「北野神社」からアプローチする。
が、このルートは、余りお勧めしない。(汗)
整備された3又は4がお勧めかも。
「北野神社」境内にある「礎石」と解説板。
「礎石」。
解説板。
礎 石(解説板)
古記録によれば、鷺山城は文治の
頃、佐竹美濃別当秀義が、源頼朝よ
りこの地を賜わり、築城したのが始
めである。その後、三百年ほど経た
永正の頃、土岐頼芸が改めて築城し
川手城に移るまでここに住した。
さらに天文末頃、斎藤道三が稲葉
山城を義竜に譲り、鷺山城を隠居所
として九年間居城した。
しかし弘治二年長良川合戦で、道
三は敗死し、以後廃城となった。
この礎石は、昭和三十九年頃、宅
地造成工事のおり、山の南側中腹付
近から出土したものである。
礎石の確定的な論証はできないが
古城をしのぶ貴重な資料である。
城跡の解説板。
鷺山城跡(解説板)
長良川北の東西二百㍍・南北五百㍍の独立
丘である鷺山は、標高六八㍍の小丘であるが
平地にそびえて展望が良く、古来、城跡とし
て目立ってきた。東山道が北の山ふもとを横
切り、南に長良川を控えるこの要地は古く鎌
倉時代に佐竹常陸介秀義が築城したと伝え、
室町時代には土岐一族が據り、その一一代頼芸
はここに住んだという。頼芸の家臣斎藤道三
はしばしば頼芸の居館を訪ねたが、美濃国を
制覇した道三は鷺山城に據り、金華山城を背
にした子の義竜と長良川に戦って敗死したと
いう。以後、鷺山は廃城となり、城主は岐阜
や黒野に據ってきた。
昭和五九年鷺山桜の会を結成し、古墳以来
ゆかりのある鷺山に桜や楓を植樹し、鷺山の
美しい自然とゆたかな歴史を地域では進んで
守り育てようと協力している。
平成元年六月吉日
神社北側の忠魂碑?の背後に、上へと続く階段があるので、
ここから登ってみる。
因みに、「北野神社」の「拝殿」付近からも階段に出られるが、
続く。