訪問日 平成30年 5月 5日
今回訪問したのは、岐阜市奥にある「安東守就之墓」。
龍峰寺南側から背後の山へ入る。
多くの墓が山麓の新しい墓地に移設された様で、
かなり寂しい状態となっている。
因みに、左側へ進むと山の中へ。
墓地前の道を奥へと進む。
突き当りに地蔵菩薩が祀られている。
突き当りの左側が目的地。
石碑と「石灯籠」の奥に「五輪塔」や石碑がある。
因みに、この「石灯籠」は、宝暦十年十一月に建之されたもの。
石碑「史蹟 安東守就墓」。
安東守就墓
これは戦国時代西美濃三人
衆の一と稱せられた北方城主
安東伊賀守入道道足の墓
であるから破壊したり汚し
たりしてはならぬ
昭和七年十二月 岐阜縣
中央が墓。
右側に解説の石碑がある。
「龍峯寺殿前伊州太守
竹巌道足大居士之塔
天正十壬午年六月八日」
左側の塔は、石碑に「開山塔」とあるので、湖叔和尚のものか。
右側には、同じ日に亡くなった方の「五輪塔」と石碑がある。
「徳涼院殿正安大居士」。
一族の方だろうか?
一番右端の「五輪塔」と石碑。
こちらも、一族の方か?