鵜飼山城跡(岐阜市) | 鬼丸のブログ

鬼丸のブログ

気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成30年 5月 5日


今回訪問したのは、岐阜市御望の御望山にある「鵜飼山城跡」。
『日本城郭全集7』には、次の様に記載されている。

「城址は岐阜市西北端に位置し、加藤左衛門尉光長(光泰の父で、西美濃安東家の氏族)が当城に住まったという(『濃陽諸士伝記』)。

また『新撰美濃志』では、当城を下鵜飼城と記しているが、それは鵜飼山城と混同しているのではなかろうか。

この城の創築、廃城の年代は定かではないが、土岐頼芸の長子頼秀(猪子法師)が、道三の讒言により、父の勘気をこうむり、天文十年(一五四一)、村山芸重を頼り、ここに住んだことがあるとか、また斎藤道三がこれを攻撃したとき、尾張の織田、越前の朝倉が頼秀を助けたため、両者は和睦をしたといったような歴史が伝えられている。

さらに永禄年間、竹中半兵衛が、岐阜の城主斎藤竜興を攻めたとき、竜興はこの鵜飼山から文殊村へと落ちのびたともいう。」


御望山。

手前は、岐阜市立岐北中学校。
鵜飼山城跡2


登山口は、「神明神社」の「拝殿」東側にある。
鵜飼山城跡3


この「石燈籠」は、「金毘羅大明神」「秋葉大明神」のもので、

慶應三年九月とある。

鵜飼山城跡6 鵜飼山城跡4

鵜飼山城跡5


階段手前には石碑「金毘羅大明神 秋葉大明神上り口」があるが、

御望山登山口の案内は無い。

鵜飼山城跡8 鵜飼山城跡7


「参道」の階段を上る。

途中、人の声がすると思ったら、女中学生2人と遭遇。

そして、この怪しい男に挨拶をして下りて行った。

彼女たちも、まさか城攻め?

鵜飼山城跡9


中腹位の場所に御堂を発見。
ここが、「金毘羅大明神」「秋葉大明神」の様だ。

鵜飼山城跡10 鵜飼山城跡11


参拝した後、御堂の横を通って山頂を目指す。

ここからが、本番です。

鵜飼山城跡13


ここから先の登山道は、正に獣道に毛の生えた程度のもの。
鵜飼山城跡14


尾根に出ると、そこは小山状になっている。

何となく、前方後円墳に見えたが如何かな?

鵜飼山城跡17 鵜飼山城跡73 鵜飼山城跡18


小山状の場所を左に曲がり、更に登っていく。

鵜飼山城跡23


途中、急な岩場となっており、落葉の影響もあり、少々危険。

鵜飼山城跡25 鵜飼山城跡26


岩場を登りきると、見晴らしの良い場所に出る。

鵜飼山城跡33 鵜飼山城跡27


稲葉山城跡。

鵜飼山城跡28


城ヶ峰。

鵜飼山城跡30


鷺山城跡。

鵜飼山城跡31


岐阜大学。

鵜飼山城跡29


溜め池?

鵜飼山城跡32


岩場で小休止の後、最後の登りへ。

鵜飼山城跡34


辿り着いた先は、三角点のある狭い平坦地。

ここが山頂(御望山225m)の様だ。

鵜飼山城跡36 鵜飼山城跡35


四等三角点。

鵜飼山城跡37 鵜飼山城跡38


山頂に着いたので、次に城跡遺構を探す訳だが、

三角点の西側に大きな窪みがある。

自然地形にしては大き過ぎるので、「堀切跡」と思われる。
鵜飼山城跡39 鵜飼山城跡40 鵜飼山城跡55


「堀切跡」から更に西へと進んでみる。

鵜飼山城跡41  


概ね平坦地が続き、途中「堀切跡」にも見える窪地があるが、

自然地形と思われる。

鵜飼山城跡44 鵜飼山城跡49 鵜飼山城跡50

 

三角点のある平坦地。

ここがやはり「主郭跡」?

鵜飼山城跡56


今度は、東側を探索。

写真左側つまり北側が少し盛り上がっており、

「土塁跡」に見えなくもないが…。

鵜飼山城跡57


暫く進むと窪地があり、

「土塁跡」状の土盛りから北側へ窪みが落ちていく。

「堀切跡」からの「竪堀跡」ぽいが…。

鵜飼山城跡61 鵜飼山城跡58 鵜飼山城跡59


ここから先は、暫く尾根道が続いた後、大きく下っていく。

鵜飼山城跡64


城跡にしては、山頂付近に平坦地が少な過ぎる気がする。

平時からあったというよりは、

戦時に一時的に砦を置いたという感じかな?