「本丸跡」の次は、「堀切跡」を越えて、
北西尾根にある「連郭曲輪群跡」を探索。
曲輪群は、大きく五段あり、「虎口」を設けた「曲輪跡」もある。
「堀切跡」横の「曲輪跡(以下、Ⅱ郭とする。)」。
恐らく、一番細長い「曲輪跡」。
「Ⅱ郭」の北西端。
次の「曲輪跡(以下、Ⅲ郭とする。)」へは、急な崖を降りる必要がある。
南側にロープが渡してあったので、これを掴みながら降りる。
側面を見ると、「石垣跡」の痕跡らしき場所が見えた。
「Ⅲ郭」に無事到着。
「切岸」は、こんな感じ。
高さ5mはあるかな。
この曲輪群の中で、一番高い。
「Ⅲ郭」は、曲輪群の中でも一二を争う広さを持つ。
その中央南側に不自然に凹んだ場所がある。
ここは、如何やら「虎口跡」らしく、
ここから細い道が次の「曲輪跡(以下、Ⅳ郭とする。)」に続いている。
「Ⅳ郭」。
「Ⅲ郭」との「切岸」はそれ程高くないが、綺麗な台形をしている。
「Ⅳ郭」の最大の特徴は、北西端が「土塁」状に少し高くなっており、
その手前が少し低くなって、「内枡形虎口」を形成しているところだ。
そして、坂を降って、次の「曲輪跡(以下、Ⅴ郭とする。)」に出る。
坂の北側には、「土塁跡」と思われる土盛りがある。
「Ⅴ郭」。
最大の特徴は、ここだけ高い木が殆ど生えておらず、
又、下草処理がされていないことだ。(笑)
「切岸」は、「Ⅳ郭」北西端が「土塁」状に高くなっているので、
余計に高く見える。
「Ⅴ郭」から最後の「曲輪跡(以下、Ⅵ郭とする。)」へは、
北側に道があるので、ここを通る。
「Ⅴ郭」の下草が酷くて、北西端をしっかり確認できなかったので、
この道が正しいのかは不明。
「Ⅵ郭」。
「Ⅴ郭」の北側から「土塁跡」が伸びており、
この「土塁跡」が正規の道だったかもしれない。
尚、南側にも「土塁跡」がある様だが、
木々に隠れていたので、確認せず。(汗)
「Ⅵ郭」の先にも道が続いており、確か椿峠方面に行けるはず。
下に降りて確認するも、ロープ伝いに降りられたが、
整備されていない様子だったので、ここまでとする。
帰り道、「Ⅵ郭」の「土塁跡」に生えている木に爪痕らしきキズを発見。
やはり、クマさんのだよな。(汗)
下山の時は、登りと違い、ある程度周囲を観察する余裕があるのか、
「石垣跡」等に目がいった。
まだまだ、整備途中の様なので、山麓の屋敷跡も含めて、
整備完了が待ち遠しい。
その際は、「玄蕃尾城跡」の様に、下草の処理もお願いします。(笑)





























