中山道 青墓宿 弐 「照手姫水汲井戸」 | 鬼丸のブログ

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気儘に写真を載せてます。

主に、城跡・神社かな。

訪問日 平成27年11月23日


今回訪問したのは、大垣市青墓町にある「照手姫水汲井戸」。

新旧の県道216号線に挟まれた場所にあり、

隣に青墓総合研修センターが建つ。

照手姫水汲井戸1

「圓願寺・芦竹庵」にも案内板がある。

ここより南に約100m。
照手姫水汲井戸2


旧県道216号線の道端にも案内の石碑が建つ。
照手姫水汲井戸3 照手姫水汲井戸4

研修センター東側が目的地。
照手姫水汲井戸5

正面付近。

石碑と解説板×2と奥に井戸跡がある。
照手姫水汲井戸6


解説板1。
照手姫水汲井戸8


  伝 承 地

  照手姫の水汲み井戸(解説板)

伝説  照手姫

 昔、武蔵・相模の郡代の娘で照手姫という

絶世の美人がいました。この姫と相思相愛の

小栗判官正清は郡代の家来に毒酒を飲まされ

殺されてしまいました。照手姫は、深く悲し

み家を出て放浪して、青墓の大炊長者のとこ

ろまで売られて来ました。

 長者は、その美貌で客を取らせようとしま

すが、姫は拒み通しました。怒った長者は一

度に百頭の馬にえさをやれとか、籠で水を汲

めなどと無理な仕事を言いつけました。

 一方、毒酒に倒れた正清は、霊泉につかり

よみがえり、照手姫が忘れられず、姫を探し

て妻にむかえました。

 この井戸の跡は、照手姫が籠で水を汲んだ

と伝えられるところです。

                大垣市教育委員会



解説板2.

教育委員会のものより格段に大きい。(笑)

照手姫水汲井戸7

   照手姫の水汲み井戸(解説板)

 昔、武蔵・相模(今の神奈川県)の郡代(郡の代官)横山

将監に女の子が生まれ、照手姫と名付けられ成長しました。

目の覚めるような美人と言うことで世間の評判になりまし

た。その話を聞いた常陸の国(今の茨城県)の国司小栗判官

正清は、使者も立てず強引に婿入りしてしまいました。その

ため、父親の将監がたいへん怒り、小栗判官に毒の入った酒

を飲ませ殺してしまいました。

 照手姫は深く悲しみ、あてのない旅に出て、あちこちさま

よい、最後に美濃国青墓の長者「よろづ屋」に買われること

になりました。

 長者は、その美貌で客を取らせようとしますが、照手姫は

拒み通しました。怒った長者は、「一度に百頭の馬にかいば(馬

のえさ)をやれ」、「籠で水を汲め」、「十六人分の炊事を毎日

一人でやれ」などと、無理な仕事を言いつけました。

 照手姫は、毎日毎日、泣き泣き仕事を

続けましたが、日頃信仰していた千手

観音菩薩の助けで、普通の人間にはで

きそうもない仕事を成し遂げることが

できたのです。

 一方、毒酒に倒れた小栗判官正清は、

熊野の湯につかって蘇り、二条大納言

兼家の許しを得て都に戻り、朝廷から

美濃国を治める役人に任命されました。

 その後、照手姫が青墓に居ることを知り、妻として迎え、

二人は末永く幸せに暮らしたということです。


◎この井戸は、照手姫が、籠で水を汲んだと伝えられています。

◎照手姫のお墓はここから約百米北の圓願寺(お寺は焼失)

 境内にあります。

                明るい青少年都市市民会議青墓支部

                青墓校区青少年育成推進会



石碑「史蹟 照手姫水汲井戸」。
照手姫水汲井戸9


井戸跡。
照手姫水汲井戸14 照手姫水汲井戸10


敷地の片隅にあった「豊竹巴濃太夫墓」。

何故ここにあるのかなどの詳細は不明だが、

よく似た名前の人が、人形浄瑠璃関係にいるので、その関係者かな?
照手姫水汲井戸11 照手姫水汲井戸12
照手姫水汲井戸13

再度、正面付近。

新県道216号線にも案内板があったが、撮り忘れた。(汗)
照手姫水汲井戸17