朝の連ドラ「ちむどんどん」…
主役の暢子は、沖縄から東京に出てきました。

時代は沖縄が日本返還された50年前という設定です。


暢子の下宿は、横浜市の鶴見です。
鶴見とか川崎の海に近いエリアには、沖縄の方が多く住んでいるイメージがあります。

高度経済成長を支えたエリアですね。
沖縄料理の店は、いまでも見かけます。


昨日の放送で、暢子は朝8時から夜23時まで働きました。
14時間労働(休憩が1時間として)はきついと思います。



遠い記憶(平成に入る前後ぐらいの頃)を辿ると、2つ気になることが…。
私の記憶に間違いが無ければの話しなのですけど…。




まず、一つ目…

当時、女性の深夜勤務(22時から朝5時)は、ごく一部の業務しか認められていませんでした。
暢子の仕事は、深夜勤務は認められていなかったでしょう。

私が新卒の際はシフト勤務でして、遅番は21時まででした。
公共交通機関で働いていましたから、天候などによる遅延等で残業することがあります。
そんな時でも、女性は22時になると法律通りさっさと帰っていました。
ある意味、羨ましかったです。



次に、二つ目…


当時、女性は1日2時間までしか(8時間を超えた)残業が出来なかったと思うんですけど…。
つまり、1日の労働時間は最大10時間まで…。

早番は14時までなのですが、その後に研修や教育を受けることがありました。
女性メインの職場でしたから、教官は女性です。
質問があろうが、16時には研修を終えていました。
考えてみると、もともとの所定労働時間が7時間30分でしたから、残業を2時間30分させても労働基準法を守ることはできます。
労働組合の強い会社でしたから、労働協約を締結していたのかもしれませんが…。



ドラマですから細かいことを言うつもりはないです。

自分の仕事の領域に関して簡単に説明してみたまでです。



当時の女性に対する保護された法律に比べて、いま働く女性は深夜勤務も残業時間も関係ないです。

法律が緩くなって、女性は大変だと思います。


こういうところも出生率の低下の一因になっているのではないかと、「ちむどんどん」を見ながらあらためて感じました。


そのために、「働き方改革」で残業時間の上限規制などを導入したわけですね。